江戸時代,大名・旗本の家臣で,家政の中枢に位置した役人。財務,礼式,記録などを管理し,諸役人に法令を伝達し,近習,小姓,医師,儒者,右筆などを支配した。格式は通例大名家にあっては番頭(ばんがしら)に次ぎ,旗本では家老の下にあったが,つねに主君と接触し,実権を有する職務であった。三卿の家政組織もほぼ大名家に類似し,用人が設けられて家政庶務を担当したが,その多くは幕臣の出向であった。幕府には単に用人という職名・職種はないが,側(そば)用人は将軍側近の最上首として政務に関する上申・令達に当たり,広敷(ひろしき)用人(将軍に正夫人のあるときは御台所(みだいどころ)用人)は大奥の役人の長として大奥の事務を統轄したほか,大名家へ嫁した将軍の娘の世話をする姫君用人,将軍の側室の世話をした女中用人などがあった。
執筆者:辻 達也
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
元来は用に携わる者をさす語。江戸時代には、武家・公家(くげ)などの家臣で、家老の次に位置して庶政をつかさどった者をいう。家老を欠く小家においては、用人が万事を取り仕切った。江戸幕府には、将軍の側(そば)にあって幕政に関与した側用人のほか、大奥の事務を統轄した広敷(ひろしき)用人、大名に嫁した将軍の女子の世話をした姫君(ひめぎみ)用人などがあった。諸藩もそれぞれに用人を置いたが、たとえば鳥取藩の場合、用人の職名が確定したのは延宝(えんぽう)期(1673~81)とみられ、諸役人の触頭(ふれがしら)として勢力を有していた。定員3~4人、禄高(ろくだか)300石以上の役職であった。また幕府老中などを勤める大名の家には、もっぱら幕府のことに携わる公用人が置かれた。
[松尾美恵子]
江戸時代,大名家・旗本家において,財政をはじめ諸雑務の処理にあたった役人。大名家では一般に家老につぐ高い格式をもち,旗本家でも家政全般を預かり,年貢収取をはじめとする知行所支配の柱であった。そのため,家臣のなかから家格にかかわりなく有能な人材が抜擢されることもあった。幕府ではたんに用人という役職はなかったが,側用人・広敷用人などがおかれていた。なお老中の用人を公用人といった。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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