日本歴史地名大系 「大山庄・大山郷」の解説
大山庄・大山郷
おおやまのしよう・おおやまごう
嘉元四年(一三〇六)六月一二日の昭慶門院領目録案(竹内文平氏旧蔵文書)に
のちに大山庄の知行権は三条家支流の三条西家に伝えられている。安丸氏がこの代官であったが、文明一五年(一四八三)冬に播磨国守護赤松政則が国境の
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
嘉元四年(一三〇六)六月一二日の昭慶門院領目録案(竹内文平氏旧蔵文書)に
のちに大山庄の知行権は三条家支流の三条西家に伝えられている。安丸氏がこの代官であったが、文明一五年(一四八三)冬に播磨国守護赤松政則が国境の
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
その議会の過半数には達しないが、議席数をもっとも多くもつ政党。...