大島義昌(読み)オオシマ ヨシマサ

20世紀日本人名事典 「大島義昌」の解説

大島 義昌
オオシマ ヨシマサ

明治・大正期の陸軍大将,子爵



生年
嘉永3年8月15日(1850年)

没年
大正15(1926)年4月10日

出身地
長門国萩(山口県萩市)

経歴
明治2年大阪兵学寮に入り、3年大阪陸軍青年学校に学び、4年陸軍少尉心得。10年西南戦争に大隊長として従軍。東京鎮台参謀長を経て、24年少将、第9旅団長。日清戦争に第5混成旅団長としてとして牙山平壌転戦、功により男爵。31年中将、第3師団長。日露戦争に第3師団を率いて参戦、功により子爵。38年大将。その後関東総督、関東都督、45年軍事参議官歴任。大正9年退官し、予備役。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

朝日日本歴史人物事典 「大島義昌」の解説

大島義昌

没年:大正15.4.10(1926)
生年:嘉永3.8.15(1850.9.20)
明治期の陸軍軍人。長州(萩)藩士大島慶三郎の長男。藩校明倫館に学ぶ。明治3(1870)年大阪青年学校(のちの士官学校)に入学。西南戦争(1877)では歩兵第8連隊大隊長として転戦した。その後陸軍士官学校次長などを経て,24年歩兵第9旅団長となり,27年6月朝鮮の甲午農民戦争(東学党の乱)には混成第9旅団長として出征。仁川上陸後,清国陸軍との緒戦成歓の戦いで勝利を収め,平壌陸戦でも活躍した。31年には第3師団長となり日露戦争に出征,終結後の38年10月大将,関東総督(39年から関東都督)を45年まで務め満州(中国東北部)経営に当たった。44年からは軍事参議官。

(田浦雅徳)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大島義昌」の解説

大島義昌 おおしま-よしまさ

1850-1926 明治-大正時代の軍人。
嘉永(かえい)3年8月15日生まれ。西南戦争に従軍。日清(にっしん)戦争の際は平壌攻略で戦功をたて,日露戦争では第三師団長として参加した。戦後関東都督,軍事参議官となる。陸軍大将。大正15年4月10日死去。77歳。長門(ながと)(山口県)出身。青年学舎卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android