大庭二郎(読み)オオバ ジロウ

20世紀日本人名事典 「大庭二郎」の解説

大庭 二郎
オオバ ジロウ

明治〜昭和期の陸軍大将



生年
元治1年6月23日(1864年)

没年
昭和10(1935)年2月11日

出生地
山口県

学歴〔年〕
陸士〔明治19年〕卒,陸大〔明治25年〕卒

経歴
明治19年歩兵少尉、陸大卒後は参謀本部に出仕し、兵站総監部副官、28年ドイツ留学。32年帰国して陸大教官、歩兵第2連隊長、37年日露戦争には第3軍参謀副長となり、旅順攻略戦の作戦を立てたが失敗し、38年後備第2師団参謀長に左遷。42年戸山学校長、45年陸軍歩兵学校長、第一次世界大戦にロシア大本営付としてロシア軍に従軍、大正4年第3師団長となりシベリア出兵。9年朝鮮軍司令官、同年大将。12年教育総監兼軍事参議官、15年予備役編入、昭和9年退役。長州軍閥の最後の一人。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大庭二郎」の解説

大庭二郎 おおば-じろう

1864-1935 明治-大正時代軍人
元治(げんじ)元年6月23日生まれ。母校陸軍大学校の教官,参謀本部課長などをつとめ,日露戦争では第三軍参謀副長。のち陸軍戸山学校長,第三師団長,朝鮮軍司令官。大正9年陸軍大将。12年教育総監。昭和10年2月11日死去。72歳。長門(ながと)(山口県)出身

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「大庭二郎」の解説

大庭 二郎 (おおば じろう)

生年月日:1864年6月23日
明治時代-昭和時代の陸軍軍人。大将
1935年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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