大方郷
おおがたごう
「和名抄」にみえるが訓を欠く。「下総旧事考」は「大生郷村是ナルベシ。猶岡田郡ノ中間ニアル原ヲ。大形原ト云ヘバ。大方郷ノコトナルベシ」として大生郷村(現水海道市)付近に比定。しかし「続日本紀」神護景雲二年(七六八)八月一九日条にみえる鬼怒川河道付替えによって廃川となった旧河道が干潟となったため「大潟郷」となったともいわれ、現結城郡八千代町北部とする説もある。「将門記」には承平七年(九三七)八月のこととして「将門ハ(中略)同郡ノ下大方郷堀越ノ渡ニ陣ヲ固メテ相待ツ」とみえているが、堀越渡は現八千代町仁江戸に比定されるので、大方郷域は八千代町北部と考えられる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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