大村 憲司(読み)オオムラ ケンジ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「大村 憲司」の解説

大村 憲司
オオムラ ケンジ


職業
ギタリスト 作曲家 編曲家

生年月日
昭和24年 5月5日

出生地
兵庫県 神戸市

経歴
ジャズ・ギタリストのウェス・モンゴメリーベンチャーズに衝撃を受け、ギターをはじめる。以後、ベンチャーズ、ビートルズ、モンゴメリーらのプレイをコピーし、昭和44年ヤマハ主催のライト・ミュージック・コンテストのロック部門で優勝。45年単身渡米、サンフランシスコの大学に通いながら音楽活動に明け暮れ、アマチュア・バンドのコンテストではあったが日本人で初めてフィルモア・ウェストのステージに立った。46年帰国後、赤い鳥のレコーディングに参加し、47年正式メンバーとなる。4枚のアルバムを録音して同バンドを脱退した後は、48年赤い鳥で一緒だった村上ポンタ”秀一らとエントランスを結成したのを皮切りに、49年村上、林立夫、小原礼らとのバンブー、50年深町純らとの21stセンチュリー・バンド、51年小原、村上、是方博邦らとのカミーノなどのバンドで活動した。傍ら卓越したギターテクニックから、スタジオ・ミュージシャンやライブのサポート・ギタリストとしても信頼され、五輪真弓、大貫妙子、吉田美奈子、矢野顕子、石川セリ、遊佐未森らのバックを務める。53年アルバム「ファースト・ステップ」を発表してソロとしてのキャリアも開始し、その後も同年「KENJI SHOCK」、56年「春がいっぱい」、58年「外人天国」とさまざまなギターのスタイルを試みたアルバムをコンスタントにリリースした。55年“ロックっぽい”ギタープレイを欲した高橋幸宏の要望によりイエローマジックオーケストラ(YMO)のサポート・ギタリストに選ばれ、その国内及び海外ツアーに同行。57年山下久美子のアルバムをプロデュースしてからはプロデューサーとしても活躍し、山下が歌った「赤道小町ドキッ」はチャート2位を獲得するヒットとなった。平成2年にはブルースに回帰し、近藤房之助らと組んでコンサートを行った。9年デビュー25周年記念ライブを開催したが、10年病気のため49歳の若さで死去した。他のアルバムに「Left-Handed Woman」「Leaving Home」がある。

没年月日
平成10年 11月18日 (1998年)

伝記
ジャパニーズ・ロック・ギタリスト 山本 隆士 監修(発行元 音楽之友社 ’00発行)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

今日のキーワード

排外主義

外国人や外国の思想・文物・生活様式などを嫌ってしりぞけようとする考え方や立場。[類語]排他的・閉鎖的・人種主義・レイシズム・自己中・排斥・不寛容・村八分・擯斥ひんせき・疎外・爪弾き・指弾・排撃・仲間外...

排外主義の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android