改訂新版 世界大百科事典 「サンフランシスコ」の意味・わかりやすい解説
サンフランシスコ
San Francisco
アメリカ合衆国カリフォルニア州中部の大都市。太平洋岸最大の良港で,市の北に架けられているゴールデン・ゲート橋は,アメリカ大陸とアジアとを結ぶ門として象徴的である。人口74万(全米13位,2004),オークランド,サノゼ,バークリーなどを含む大都市域人口は641万(1992)という人口密集地域であるが,この町の発展の歴史はきわめて浅い。
ゴールデン・ゲート海峡は非常に狭く,しかも霧で覆われていることが多いので,16世紀に航海してきたイギリスやスペインの探検家たちは,この海峡を発見できなかった。1769年に南のサン・ディエゴから陸路北上してきたスペイン探検隊が,天然の良港になっている広い湾(サンフランシスコ湾)と入口の狭い海峡を発見し,76年には海峡に面した地点にスペイン人が砦をつくり,同年その少し南にカトリック伝道所を建設した。その周辺にしだいに家が建つようになったのが,サンフランシスコの起源である。1821年のメキシコ独立後その領有となり,以来ニューイングランドを基地にしたアジア貿易や太平洋上の捕鯨にとって,絶好の中継地となった。46年にアメリカとメキシコの戦争が始まったとき,人口約800人だったが,48年戦争終了とともにアメリカ領となり,東のシエラ・ネバダ山中に金鉱が発見されてゴールドラッシュが始まると,51年には人口が一挙に1万を突破し,このため治安が悪化して自警団が組織された。ゴールドラッシュの波が去ると,60年代後半には大陸横断鉄道の建設という大事業の根拠地となり,労働力として多くの中国人が入国して70年代末までにチャイナ・タウンができている。73年にA.S.ハリディーが導入したケーブルカーは坂道の多い町の交通機関として計画されたもので,以来町の名物となって今日にいたった。日本人移民もこのころからしだいに増加し,91年には全米最初の日本人会が設立された。しかし1906年に襲った大地震のあと,日本人学童を別の学校に隔離した問題から,排日運動が表面化した。
大地震から立ち直って〈不死鳥phoenix〉を市のシンボルマークとし,14年のパナマ運河開通以来ますますその重要性を増した。36年には湾の対岸オークランドとを結ぶ橋San Francisco-Oakland Bay Bridgeが,翌37年にはゴールデン・ゲート橋がそれぞれ完成し,さらに72年には湾周辺地帯を結ぶ交通機関BART(バート)(正称Bay Area Rapid Transit)も実現,一大人口地帯を形成することになった。いまこの町は東西貿易の要衝であるばかりでなく,アメリカ西部全体の金融の中心として知られ,ダウンタウンにはバンク・オブ・アメリカの本社をはじめ金融・貿易会社が集中して高層ビルが林立し,新しい時代を象徴する都市としての評価を確立した。美しい自然と四季を通じての温和な気候(年平均気温13.8℃),さらにスペイン系,中国系,日系などの多様な文化の融合など,この町の魅力は実に豊富なので,年間を通じて観光客が絶えない。さらに全米に先がけて新しい生活様式,新しい価値観がここから生まれることが多く,1950年代のビートニック,60年代のヒッピー,バークリーの大学紛争,オークランドのブラック・パンサー党の結成,70年代の性の解放など,この町の空気の自由さを雄弁に物語っている。
執筆者:猿谷 要
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報