ブルース(英語表記)blues

デジタル大辞泉 「ブルース」の意味・読み・例文・類語

ブルース(blues)

奴隷制下のアメリカ黒人の間に、宗教歌・労働歌などを母体に生まれた歌曲。のち、ダンス音楽やジャズなどにも取り入れられた。

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精選版 日本国語大辞典 「ブルース」の意味・読み・例文・類語

ブルース

  1. 〘 名詞 〙 ( [アメリカ] blues )
  2. アメリカ黒人独特の民衆歌曲。主に四分の四拍子、一二小節のくり返しから成り、ブルーノートという特有の音程を持つ。広く、アメリカのポピュラー音楽に影響を与え、その特色を持った、ジャズの楽曲形式やダンス音楽、流行歌をうんだ。
    1. [初出の実例]「急に鼻唄で練習中のブルースを歌ひ出したりする」(出典:踊子(1946)〈永井荷風〉二)
  3. 社交ダンスステップの一つ。〔モダン学十二講(1933)〕

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改訂新版 世界大百科事典 「ブルース」の意味・わかりやすい解説

ブルース
blues

アメリカ黒人の伝統的大衆音楽の形式。奴隷解放ののち,南部農業地帯の黒人たちが抑圧の中で味わった個人的感情を,つぶやくように吐き出す歌として発生し,20世紀初頭にほぼ一定の形式をもつようになった。米西戦争(1898)のころからアメリカ南部にギターが普及したことが大きく関与しており,ブルースはギター弾き語りの形にまとまる中で,西洋音楽の和声構造を身につけた。標準的なブルースの定型は,A A Bの3行から成る詩を12小節に収め,各行ごとに後半でギターが歌の間に割り込む形になっている。そのギターの即興的な入り方が,即興音楽としてのジャズを生む母体になったとする学者もおり,ブルースがジャズの基盤の一つであったことはまちがいない。ミとシ(さらにソも)が,ときにブルー・ノートblue noteと呼ばれる低めの音になることに黒人音楽の特質を示す音階と和声構造はジャズの重要な素材となっている。ブルース自体はジャズの支持層よりもさらに底辺の黒人社会でダンス音楽として機能し続け,ブギウギを派生させるなど,民俗音楽から商業音楽へと性格を変えていった(社交ダンスでいう〈ブルース〉はスロー・フォックストロットのことであり,本来のブルースとは関係がない)。

 南部農村から北部,東部,西部の工業地帯へ黒人労働力の移動に伴って,ブルースの基盤も都市ゲットーに重点を移し,1930年代からピアノ,ドラムスを導入してグループないしバンドの形で演奏されることが多くなり,第2次世界大戦のころには電気ギターを使うようになって,リズム・アンド・ブルースを生み,ロックの成立を促した。60年代以降,黒人大衆の社会生活や意識が大きく変わる中で,彼らにとってブルースのもっていた役割は小さくなりつつあるようである。

 代表的な演奏者(ほとんどの場合作詞・作曲者を兼ねる)として,最も初期の南部のギター弾き語りスタイルのブラインド・レモン・ジェファソンBlind Lemon Jefferson(1897-1930),チャーリー・パットンCharlie Patton(1887?-1934)ら,1920~30年代にピアノを用いて都市化の先がけをしたリロイ・カーLeroy Carr(1905-35)とピーティー・ウィートストローPeetie Wheatstraw(1902-41),30年代にジャズのスウィング感を取り入れたバンド・ブルースを推進したビッグ・ビル・ブルーンジーBig Bill Broonzy(1893-1958。ギター),30年代中葉,強烈な南部の感覚の中に次代への予感を秘めつつ若死した伝説的人物ロバート・ジョンソンRobert Johnson(1912?-38。ギター),戦後の電気ギターによるブルースを発展させたティーボーン・ウォーカーT-Bone Walker(1910-75),マディ・ウォーターズMuddy Waters(1915-83),B・BキングKing(1925- ),ブルースが急速に変貌する中で洗練されない南部の感覚を強靱に保ち続けたライトニン・ホプキンズLightnin' Hopkins(1912-82)らが挙げられる。
執筆者:


ブルース
Paul-Louis-Marie Brousse
生没年:1844-1912

フランスの政治家。南フランス出身で,医学生の頃から反第二帝政運動に加わる。1872年インターナショナルに加盟し,スペイン,スイスを足場に,反マルクス陣営の先頭に立ち,フランス国内向け地下出版など非合法活動にも従事。一時はクロポトキンらと極左派アナーキストに属した。スイスを追放されてベルギーに滞在,しだいに合法路線に転換する。1880年帰国後,フランス労働党に加入し,パリで活動。82年サンテティエンヌの党大会でゲード派とたもとを分かち,多数派の〈ポシビリスト(可能派)〉,すなわち漸進主義的な改良派の指導者の一人となる。ベルギー社会主義者ドパープの思想的影響下に,選挙による地方自治体獲得と公共業務組織化を軸とした改良的社会主義への道を主張した。1890年,左派のアルマーヌ派の脱退後は,改良派の代表者となったが,影響力は低下した。彼自身,1887年パリ市会議員に初当選,同副議長にまでなり,一時は下院議員も務めた。
執筆者:


ブルース
Robert Bruce
生没年:1274-1329

スコットランド王ロバート1世。在位1306-29年。祖父も父も同名。はじめ封建的上長のイングランド王に服したが,のちこれと対決してスクーンで即位(1306)。独立戦争を遂行して,1314年バノックバーンエドワード2世を撃破した。20年貴族らはローマ教皇あてに〈独立宣言〉を送り,3年後に教皇はブルースをスコットランド王と認めた。28年イングランドとの条約により,ブルースはスコットランドの独立を獲得した。
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百科事典マイペディア 「ブルース」の意味・わかりやすい解説

ブルース

アメリカ黒人の伝統的な大衆音楽の形式。19世紀中ごろ,米国の南部の黒人たちから発生し,ギターの普及とともに一定の形式を持つようになった。不運,災難,悩みなどを題材にした3行詩で,第2行は第1行の繰返し。音楽は4小節を単位として一定のコード進行をする12小節からなり,西洋の長音階とくらべると,第III音と第VII音がほぼ半音下がる(ブルー・ノートblue note)独特のブルース音階をもつ。その後の米国の音楽の支配的要素の一つであり,また,ジャズを生む母胎の一つとなった。→ロックリズム・アンド・ブルース
→関連項目ウォーカーガイクラプトンザ・バンドジェームズジョプリンジョンソンスミスディキシーランド・ジャズ原田芳雄ファンクブギウギブレーキーヘンドリックスホプキンスロックンロール

ブルース

スコットランド王ロバート1世(在位1306年−1329年)。中世におけるスコットランド独立運動の英雄。名門ブルース家の出身。イングランド王エドワード1世をスコットランド王と認めていったんは彼に臣従したが,1298年独立運動の兵をあげ,競争相手のカミンを殺害してスクーンで戴冠した。しかしイングランド軍に敗れてアイルランドに逃れたが,帰国するやイングランド人をスコットランドから駆逐し,1314年エドワード2世の兵をバノックバーンで撃破した後も執拗な闘争をつづけ,1317年にはローマ教皇にスコットランド王であることを認めさせ,さらにイングランドとの間では1328年ノーサンプトン条約でスコットランドの独立を認めさせた。

ブルース

英国のアフリカ探検家。1762年以来,地中海南部の沿岸諸地方を旅して遺跡等を調査,1768年―1769年には紅海沿岸を旅行。エチオピアに3年滞在し,1770年には青ナイルの源流(タナ湖)を発見した。

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朝日日本歴史人物事典 「ブルース」の解説

ブルース

没年:1863.11.20(1863.11.20)
生年:1811.7.20
幕末に来日したイギリスの外交官,植民地長官。ロンドンに生まれ,イートン校,オクスフォード大学卒。1841年下院からの政界入りを試みるが,兄,父(古代アテネの彫刻コレクション・エルギンマーブルズで有名)の死去によりスコットランドのエルギン,キンカーディン両伯爵家を相続。ジャマイカ知事(1842~46),カナダ総督(1847~54)を歴任,いずれも困難な時局下に敏腕を振るう。アロー戦争が起こるや特派使節として中国に向かい,途中麾下遠征軍をセポイの乱へ回すことになるものの,1857年12月英仏連合軍が広州を占領,翌年6月天津条約を調印する。次いで訪日し,安政5(1858)年7月18日日英修好通商条約に調印,付属貿易章程でイギリスの主要輸出品目である綿,羊毛製品の関税率を大幅に引き下げることに成功。翌年帰国し郵政大臣に就任するが,天津条約批准書交換の不調のため1860年再び特派使節として中国に赴く。英仏連合軍北京入城,英軍の円明園焼き払いの結果,北京条約締結。<著作>岡田章雄訳『エルギン卿遣日使節録』廣瀬靖子古田 織部ふるた・おりべ天文13(1544)~元和1.6.11(1615.7.6)安土桃山・江戸時代前期の武将,茶人。通称左介,名は重然。織田信長の美濃攻めの際に父重定とともに参戦,のち豊臣秀吉に仕える。天正13(1585)年織部正に叙せられ,山城国(京都府)西岡に3万5000石を領した。早くから千利休について茶の湯を学び,利休の死後,秀吉の御伽衆となり,「茶の湯名人」と称された。慶長3(1598)年に秀吉が死去すると家督を嗣子重広に譲り,伏見で茶の湯三昧の生活に入った。同8年小堀遠州が師事。江戸幕府2代将軍徳川秀忠の茶の湯指南も務めた。同19年大坂冬の陣では東軍に加わるが,翌元和1(1615)年の夏の陣後,豊臣方に内通した罪を問われ,伏見の自邸で切腹。その好みに由来する織部焼に名を残す。

(吉沢敬)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「ブルース」の解説

ブルース James Bruce Elgin

エルギン

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デジタル大辞泉プラス 「ブルース」の解説

ブルース

ニュージーランドのラグビーチーム。本拠地はオークランド。国際リーグ戦「スーパーラグビー」に参加。

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367日誕生日大事典 「ブルース」の解説

ブルース

生年月日:1814年4月14日
イギリスの外交官
1867年没

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世界大百科事典(旧版)内のブルースの言及

【スコットランド】より

…13世紀末から14世紀初めにかけ,封建的上長であるイングランド王との対立が独立戦争として激化。R.ブルースは1328年スコットランドの独立を獲得した。その後ダンカンの血統が絶え,1371年ロバート2世が即位してスチュアート朝を開始。…

【ジャズ】より

…Dixielandとは南部一帯をさすあだ名である。 ディキシー時代のジャズを構成した音楽的要素のなかでいちばん目だつのは,ブラスバンドが演奏していた行進曲的要素であるが,ほかに各国民謡,セミ・クラシック,ブルースblues(南部の田舎に生まれた黒人の歌。最初は一定の形式がなかったが,ジャズ発生と同時期に,4小節3段,1コーラス12小節形式を標準とするようになった),ラグタイムragtime(南部の黒人ピアニストがケークウォークcakewalkというダンスのための音楽として作曲したピアノ音楽。…

【カントリー・ブルース】より

…アメリカ合衆国南部農村地帯の黒人に行われた素朴なブルース。ブルースは19世紀後半にミシシッピ州もしくはテキサス州東部の黒人たちの間で生み出され,20世紀初頭に,主としてギター弾き語りの形で南部一帯の黒人に歌われるようになったものと推定されているが,黒人人口の南部農村から北部工業都市への移動に伴って都市化していった。…

【ジャズ】より

…Dixielandとは南部一帯をさすあだ名である。 ディキシー時代のジャズを構成した音楽的要素のなかでいちばん目だつのは,ブラスバンドが演奏していた行進曲的要素であるが,ほかに各国民謡,セミ・クラシック,ブルースblues(南部の田舎に生まれた黒人の歌。最初は一定の形式がなかったが,ジャズ発生と同時期に,4小節3段,1コーラス12小節形式を標準とするようになった),ラグタイムragtime(南部の黒人ピアニストがケークウォークcakewalkというダンスのための音楽として作曲したピアノ音楽。…

【ポピュラー音楽】より

…ルンドゥーもハバネラも付点8分音符と16分音符を組み合わせた軽く跳ねるリズム感をもち,ポルトガルもしくはスペインの音楽にアフリカ的リズム感を加味したものと考えられるが,これがその後のラテン・アメリカの音楽の基調となったといってよく,19世紀半ばにブラジルで生まれた器楽の音楽ショーロも,19世紀末にアルゼンチンのブエノス・アイレスで生まれた踊りの音楽タンゴも,このリズムがもとになっている。また,有名なアメリカのポピュラー・ソング《セント・ルイス・ブルース》の一部にもこのリズムが使われている。1930年代以降に一世を風靡したキューバのルンバ,ブラジルのサンバといったダンス音楽も,このリズムが発展したものといえる。…

※「ブルース」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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