大松川小道番所跡
おおまつかわこみちばんしよあと
[現在地名]山内村大松川
近世横手山内の南部領との境口は八ヵ所あったといわれ(山内村郷土資料)、小松川口に次いで重要な番所が大松川村福万から南部領「湯田の郷左草村」に通ずる大松川口である(雪の出羽路)。
小道境口番所の創設は不明であるが、享保六年(一七二一)大松川村肝煎黒沢甚兵衛が番人に命ぜられ、二人扶持を拝領した(山内村郷土資料)。境口拠人の任務は旅人や出入商品の監視と役銭取立で、菅江真澄は「旧家あり、黒沢勘十郎とて此山境を守ぬ、国つものを、こと国へ踰えやらむ事をとゝめ置れたる高札立り」(雪の出羽路)と記している。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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