大沢豊子(読み)おおさわとよこ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「大沢豊子」の意味・わかりやすい解説

大沢豊子
おおさわとよこ
(1873―1937)

速記記者ジャーナリスト。群馬県に生まれ、小学校卒業後上京。1888年(明治21)から佃(つくだ)速記塾で2年間学ぶ。1889年12月婦人矯風会廃娼(はいしょう)演説会植木枝盛(えもり)の演説を速記、『女学雑誌』に掲載された。1899年時事新報社に入社、もっぱら婦人部面を担当し、勤続25年に及んだ。1926年(大正15)東京放送局(現NHK)開局まもなくに入局、家庭婦人部主任として、婦人講座、教育放送にあたった。職業婦人先覚者でもある。

[吉見周子]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

20世紀日本人名事典 「大沢豊子」の解説

大沢 豊子
オオサワ トヨコ

明治・大正期のジャーナリスト,速記者 東京中央放送局家庭婦人部主任。 女性記者の先駆者



生年
明治6年12月31日(1873年)

没年
昭和12(1937)年6月15日

出生地
群馬県館林

経歴
小学校卒業後、明治21年上京。遠縁佃与次郎の経営する佃速記塾で速記を学び、22年自由民権運動家の植木枝盛の演説を速記、日本女性で初めて公開演説場での速記を行った。32年速記の腕を買われて時事新報に入り、大正13年に退社するまで同社唯一の女性記者として訪問記事や家庭欄などを担当、女性記者の先駆者として知られる。この間、9年新婦人協会に参加。15年開局したばかりの東京中央放送局(NHK)に迎えられ、家庭婦人部主任として活躍した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

朝日日本歴史人物事典 「大沢豊子」の解説

大沢豊子

没年:昭和12.6.15(1937)
生年:明治6.12.31(1873)
明治大正期の女性速記者。群馬県館林生まれ。大沢師容とやおの長女。上京して佃与次郎の速記塾で学ぶ。大日本婦人衛生会など婦人団体で活動後,明治32(1899)年,時事新報社に入社,電話速記者の草分けとして活躍,のち社会部家庭欄の記者となる。開設直後のNHKに招聘され,家庭婦人部の主任として活躍した。<参考文献>『日本速記80年史』

(中嶌邦)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大沢豊子」の解説

大沢豊子 おおさわ-とよこ

1873-1937 明治-昭和時代前期のジャーナリスト。
明治6年12月31日生まれ。小学校を卒業して上京,佃(つくだ)速記塾でまなぶ。明治32年時事新報社に入社し,婦人関係の記事などをかく。大正15年日本放送協会(NHK)にはいり,婦人講座,教育番組を担当した。昭和12年6月15日死去。65歳。群馬県出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「大沢豊子」の解説

大沢 豊子 (おおさわ とよこ)

生年月日:1873年12月31日
明治時代;大正時代の速記者
1937年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android