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高崎藩 たかさきはん

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

高崎藩
たかさきはん

江戸時代,上野国 (群馬県) 高崎地方を領有した藩。後北条氏滅亡後に井伊直政が 12万石で入封し,慶長9 (1604) 年近江 (滋賀県) 転封後は酒井家次が5万石で入封。元和2 (16) 年以降松平 (戸田) 氏5万石,松平 (藤井) 氏5万石を経て,元和5 (19) ~元禄8 (95) 年安藤氏5万 6600石,元禄8年からは松平 (大河内) 氏5万 2000石 (のち7万 2000石) ,宝永7 (1710) 年からは間部 (まなべ) 氏が5万石で入封。

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百科事典マイペディアの解説

高崎藩【たかさきはん】

上野(こうずけ)国高崎に藩庁をおいた譜代(ふだい)藩。1598年井伊直政(なおまさ)が移徙して立藩。1601年からは酒井氏・戸田氏・松平(藤井)氏・安藤氏・松平(大河内)氏・間部氏・松平(大河内)氏と変遷。
→関連項目市川鶴鳴上野国地方凡例録

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藩名・旧国名がわかる事典の解説

たかさきはん【高崎藩】

江戸時代上野(こうずけ)国群馬郡高崎(現、群馬県 高崎市)に藩庁をおいた譜代(ふだい)藩。藩校は遊芸館、文武館。1590年(天正(てんしょう)18)の徳川家康(とくがわいえやす)関東入国に伴い、井伊直政(いいなおまさ)が12万石で箕輪(みのわ)城(高崎市)に入封(にゅうほう)、98年(慶長(けいちょう)3)に幕命で中山道(なかせんどう)に沿った和田城跡に移城、高崎と改めた。直政は関ヶ原の戦いの戦功で、1601年に近江(おうみ)国佐和山(さわやま)(現、滋賀県 彦根市)に転じ、高崎藩は諏訪頼水(すわよりみず)の城代を経て、04年に酒井家次(いえつぐ)が5万石で入った。以後、16年(元和(げんな)2)に松平(戸田)康長(やすなが)、翌年松平(藤井)信吉(のぶよし)、19年に安藤重信(しげのぶ)、95年(元禄8)に松平(大河内)輝貞(てるさだ)、1710年(宝永7)に間部詮房(まなべあきふさ)、17年(享保(きょうほう)2)に再び松平輝貞と、頻繁に藩主が交代、以後は明治維新まで松平氏10代が定着した。3代輝高(てるたか)は老中に列し、1771年(明和8)に石高は8万2000石にまでなった。幕末の戊辰(ぼしん)戦争 では新政府に恭順、1871年(明治4)の廃藩置県により、高崎県、群馬県を経て73年に熊谷(くまがや)県に編入、次いで76年に再置の群馬県に編入された。

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世界大百科事典 第2版の解説

たかさきはん【高崎藩】

上野国(群馬県)高崎城に藩庁をおいた譜代中藩。1590年(天正18),同国箕輪城12万石に封ぜられた井伊直政が,幕命により98年(慶長3)中山道に沿う旧和田城に移城して立藩。このとき高崎と改めた。以後藩主の交代7氏。直政は和田城の改修,城下町の整備に着手したが,1601年近江佐和山に移り,その後諏訪頼水の城代を経て,04年酒井家次が下総臼井から入封(5万石)。在城12年の間に大坂の陣に参戦,16年(元和2)越後高田に移り,代わって松平(戸田)康長,松平信吉相次いで入城したがともに在城は短く,19年安藤重信が入って重長,重博と3代77年間安藤氏が在封した(5万6600石)。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

高崎藩
たかさきはん

上野(こうずけ)国高崎城(群馬県高崎市)に藩庁を置いた譜代(ふだい)藩。1590年(天正18)箕輪(みのわ)城(高崎市)12万石に封ぜられた井伊直政(いいなおまさ)が、1598年(慶長3)和田城跡に移城して高崎と改めた。以後藩主の交代7氏、幕末の所領高は8万2000石。初代直政が、関ヶ原の戦いの功により1601年(慶長6)近江(おうみ)佐和山(滋賀県彦根市)に移ったあと、諏訪頼水(すわよりみず)城番を経て酒井家次(いえつぐ)が下総臼井(しもうさうすい)から入封(5万石)。ついで1616年(元和2)常陸笠間(ひたちかさま)から松平(戸田)康長(やすなが)、翌年常陸土浦から松平信吉(のぶよし)が移り、19年下総小見川(おみがわ)から安藤重信(しげのぶ)が入封した(5万6000石余)。安藤氏は3代、77年間在封し、この間に領内総検地、城郭城下町の整備、市の振興など藩政の基礎が築かれた。ついで1695年(元禄8)下野壬生(しもつけみぶ)から松平(大河内(おおこうち))輝貞(てるさだ)が入封(5万2000石)。輝貞は将軍徳川綱吉(つなよし)に寵用(ちょうよう)されたが、その死後越後村上(えちごむらかみ)に移されて、1710年(宝永7)間部詮房(まなべあきふさ)がかわり、17年(享保2)松平輝貞がふたたび入封した。以後維新まで松平氏が10代150年間在封。治政では町在支配法制の制定、藩校遊芸館、文武館の創設、『地方凡例録(じかたはんれいろく)』の編纂(へんさん)などが特筆される。城下町は中山道(なかせんどう)の宿駅でもあり、また絹、煙草(たばこ)などの市(いち)として栄えた。1781年(天明1)には絹運上(きぬうんじょう)反対騒動の焦点となり、幕末には銚子(ちょうし)沿岸警備、西上する水戸(みと)浪士との下仁田(しもにた)戦争、幕臣小栗忠順(おぐりただまさ)の処刑、さらに1869年(明治2)には年貢減免要求の五万石騒動など多難であった。71年廃藩後、高崎県、群馬県を経て、73年熊谷(くまがや)県に編入、76年ふたたび群馬県となった。[山田武麿]
『近藤義雄著「高崎藩」(『上州の諸藩』所収・1981・上毛新聞社)』

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