大浦庄(読み)おおうらのしよう

日本歴史地名大系 「大浦庄」の解説

大浦庄
おおうらのしよう

琵琶湖岸の大浦と大浦川流域などを庄域とし、菅浦すがうらとの相論で知られる。平安時代に園城おんじよう寺円満院門跡領の庄園として立券、鎌倉末までには上庄・下庄に分れ、上庄は梶井門跡領、下庄はのち日野家(裏松家)領となっている。上庄は大浦川上流のしようなか山門やまかどに比定され、下庄は湖岸に近い大浦・黒山くろやま小山おやま山田やまだ八田部はたべなどを含むとみられる。また下庄は寛正四年(一四六三)九月二日の大浦下庄訴状(菅浦文書、以下記述の多くは同文書により、個別文書名も必要に応じて示す)などによれば、日指ひさし諸河もろかわ(諸川)の一名半を含む時貞名・友里名など二五名からなり、夫役は「京に十六日上下四日仕候、一名として二年ニ一度ならては不仕候」といった状況にあったこと、さらには魚をとるを「五所・八幡両宮」の神事用として名主管轄、代官用の炭は三里離れた場所で焼いていたことなどが知られる。

「三代実録」元慶五年(八八一)三月一一日条に、清和院の要請で「大浦庄墾田廿八町五段百八十九歩」が延暦寺文殊もんじゆ楼料として施入されたことがみえる。長久二年(一〇四一)一二月一三日太政官は明尊の申請をうけて、当庄を円満院領として立券することを認可、その四至を「東限鳥坂、南限山田峯并海、西限神楊谷尾、北限往並并土生離岡」と定めている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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