大炊御門頼実(読み)おおいみかど・よりざね

朝日日本歴史人物事典 「大炊御門頼実」の解説

大炊御門頼実

没年嘉禄1.7.5(1225.8.10)
生年:久寿2(1155)
平安末・鎌倉前期の公卿太政大臣従一位。左大臣藤原経宗の長男。大臣の家の嫡子として順調に昇進を遂げ,建久9(1198)年11月右大臣となり,半年後,太政大臣となった。建仁3(1203)年,30年を共に過ごした妻がいるにもかかわらず,夫を亡くしたばかりの卿二位と結婚した。卿二位は後鳥羽上皇側近女房で,当時の朝廷の中心的存在であり,ほしいままの権勢を振るっていた。この結婚によって,頼実は娘麗子(陰明門院)を土御門天皇皇后にすることができ,また後鳥羽上皇の後見という立場を得ることができた。朝廷の重要な政治決定は上皇と頼実夫妻の3人でなされており,上皇の政治の顧問として関白のような存在であったという。

(秋山喜代子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大炊御門頼実」の解説

大炊御門頼実 おおいみかど-よりざね

1155-1225 平安後期-鎌倉時代の公卿(くぎょう)。
久寿2年生まれ。大炊御門経宗(つねむね)の子。右大臣をへて,正治(しょうじ)元年太政大臣となる。この間後白河院,後鳥羽(ごとば)院の別当などをつとめる。建仁(けんにん)4年従一位となったが,太政大臣を辞任。のち再任された。嘉禄(かろく)元年7月5日死去。71歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の大炊御門頼実の言及

【大炊御門家】より

…藤原氏北家の流れ。清華家の一つ。平安時代末の関白藤原師実の第3子経実を始祖とし,その子藤原経宗の邸宅大炊御門富小路西邸にちなんで大炊御門を家号とした。経実は大納言で没したが,その女懿子は後白河天皇の後宮に入って二条天皇の生母となり,経実は天皇の外祖父として勢力をふるい,没したのち太政大臣を贈られた。その子経宗も二条天皇の外舅として権力の座につき,一時後白河上皇の怒りをこうむって阿波に配流されるが,のち召還され,ついで大臣に在ること26年,左大臣を極官とした。…

※「大炊御門頼実」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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