20世紀日本人名事典 「大熊氏広」の解説
大熊 氏広
オオクマ ウジヒロ
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
(山梨絵美子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
…青銅の鋳造技術は古くから発達し,日本でも仏像彫刻などにすぐれた作品があるが,銅像という名称が使われたのは明治以後である。日本に洋風彫刻術をもたらしたのは,1876年工部美術学校開設のとき教師として来日したイタリア人ラグーザであるが,その門下生であった大熊氏広(1856‐1934)が,現在も靖国神社にある《大村益次郎像》制作の依頼をうけた。大熊は83年原型制作に着手したが,銅像制作研究のためイタリアに留学し,完成したのは93年であった。…
… 一方,工部美術学校の彫刻教師としてV.ラグーザが1875年に迎えられ,本格的な洋風彫塑を初めて伝える。ラグーザは15年間同校にあって,その門下からは大熊氏広(1856‐1934),藤田文蔵(1861‐1934),小倉惣次郎(1843‐1913),佐野昭(しよう)らが育った。彼らに加えて,81年から5年間ベネチアで学んだ長沼守敬(もりよし)が洋風彫塑の開拓者といえようが,国粋主義の伝統復興運動のさなかに設立された東京美術学校では,木彫だけが採用され,竹内久一(きゆういち)(1857‐1916),高村光雲,石川光明,山田鬼斎(1864‐1901)が登用された。…
…日本に初めて肉付け(モデリング)の技法を紹介し,セッコウの型取りや大理石の彫法あるいは建築の装飾にいたるまで基礎実技を指導した。弟子には大熊氏広(1856‐1934),後に女子美術学校を創設する藤田文蔵(1861‐1934)などがいる。ラグーザはロダンの彫刻が紹介される以前の,日本における近代彫刻史の序章を担う重要な役目を果たしたが,82年工部美術学校彫刻学科廃止後,妻となる清原玉(1861‐1939)をともなって帰国。…
※「大熊氏広」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
[1973~ ]プロ野球選手。愛知の生まれ。本名、鈴木一朗。平成3年(1991)オリックスに入団。平成6年(1994)、当時のプロ野球新記録となる1シーズン210安打を放ち首位打者となる。平成13年(...
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