大社元七(読み)おおこそ・もとしち

朝日日本歴史人物事典 「大社元七」の解説

大社元七

没年:延享4(1747)
生年:生年不詳
筑前(福岡県)宗像郡津屋崎塩田の開拓者。讃岐津多浦(津田浦?)の生まれ。もとの名は元八。しばしば商用で津屋崎を訪ね,荒廃放置された新田をみて塩田造成を思いたち,乗船を売りはらい,同村の半次郎,半十郎と共に計画をすすめ,福岡藩奨励もあって寛保3(1743)年に40町歩余の塩田が完成した。藩はこの功を嘉して浜庄屋脇差乗馬御免の待遇を与えた。産塩年額約5万石,製塩専業人百余戸におよんだ。元七は製塩のみでなく棉の栽培もこの地の農民に指導し,普及させている。<参考文献>『大日本塩業全書』3篇

(廣山堯道)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大社元七」の解説

大社元七 おおこそ-もとしち

?-1747 江戸時代中期の塩田開発者。
筑前(ちくぜん)福岡藩の援助をえて,寛保(かんぽう)3年(1743)宗像郡津屋崎に塩田をひらいた。藩から浜庄屋脇差乗馬御免の待遇をあたえられた。延享4年死去。讃岐(さぬき)(香川県)出身

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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