大秋村(読み)たいあきむら

日本歴史地名大系 「大秋村」の解説

大秋村
たいあきむら

[現在地名]西目屋村大秋

岩木川の支流大秋川上流左岸の河谷平野にある。東は岩木川を隔て山越え田代たしろ村、北は白沢しらさわ村、南は鷹巣たかのす(三三五・三メートル)を挟んで村市むらいち村に接する。天文年間(一五三二―五五)の津軽郡中名字に「大秋くいやけ」とある。

正保二年(一六四五)の津軽知行高之帳に鼻和はなわ郡の新田として村名がみえ、村高は八一・八七石である。貞享四年(一六八七)検地帳によれば村高は二一三・一三八石、うち田方一八六・〇〇四石、畑方二七・一三四石。上田中田が田方の二八・四パーセントしかない水田生産力低位の村である。ほかに漆木一千三三一本とある。


大秋村
おおあきむら

[現在地名]中村区大秋町・松原まつばら

日比津ひびつ村の東にある。文和三年(一三五四)の熱田社領目録案(熱田神宮文書)に「大脇郷 畠拾町六段三百歩云々」とあり、大脇おおわき郷をこの付近にあてる(尾張志)。寛文一一年(一六七一)の家数一七、人数一〇一(寛文覚書)。「徇行記」によれば田は一四町三反五畝余、畑は五町七反五畝余。元禄年間(一六八八―一七〇四)縄入の新田高四石余を除き概高三三六石余は藩士七人の給知。文化一〇年(一八一三)大秋村庄屋より樋口又兵衛にあてた切支丹一札に「但シ当村本田新田御見取所之内御蔵入百姓壱人も御座無候」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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