貫流(読み)カンリュウ

デジタル大辞泉 「貫流」の意味・読み・例文・類語

かん‐りゅう〔クワンリウ〕【貫流】

[名](スル)川などが貫いて流れること。「平野中央貫流する川」
[類語]水流流れる流動流通流出ける通う・流れ下る・押し流す逆巻く渦巻く淀む清流濁流急流激流奔流懸河緩流放流放水合流蛇行

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精選版 日本国語大辞典 「貫流」の意味・読み・例文・類語

かん‐りゅうクヮンリウ【貫流】

  1. 〘 名詞 〙
  2. 川などがある土地をつらぬいて流れること。
    1. [初出の実例]「これぞ生命の奥底を貫流する川である」(出典:現代文明を評し、当来の新文明を卜す(1915)〈中沢臨川〉八)
  3. 比喩的に、精神感情特徴などがある物事に一貫して見られること。
    1. [初出の実例]「不朽の真理をして全篇に貫流せしむること能はず」(出典:想実論(1890)〈石橋忍月〉七)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「貫流」の意味・わかりやすい解説

貫流
かんりゅう

近世尾張(おわり)藩で行われた槍術(そうじゅつ)の一流派、伊東流管槍(くだやり)の分かれ。流祖は尾張藩士津田権之丞信之(ごんのじょうのぶゆき)(1655―98)。尾張貫流、津田流ともいう。信之は馬廻役(うままわりやく)津田太郎左衛門の次子で、幼時より武術を好み、初め槍を伊東流虎尾孫兵衛三安(みつやす)の門人轟勘兵衛(とどろきかんべえ)に学び、勘兵衛の尾張退去後は佐分利吉兵衛忠村(さぶりきちべえただむら)に従い、1670年(寛文10)16歳で免許を得た。その後も工夫鍛練を続け、ついに横手長短すべて一貫の理を自得し、管(くだ)に活機の妙のあることを悟り、新しく一流を立てて貫流と称した。92年(元禄5)38歳のとき槍奉行(ぶぎょう)に進み、300石を領した。98年7月没、44歳。その子権之丞親信(ちかのぶ)のとき、藩主徳川吉通(よしみち)の指南役となり、藩中に広く行われたが、みだりに他藩の士に教えることを禁じたので「御留(おとめ)流」とも称され、宗家歴代権之丞もこれをよく守り、幕末に及んだ。

[渡邉一郎]

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普及版 字通 「貫流」の読み・字形・画数・意味

【貫流】かんりゆう

貫き流れる。

字通「貫」の項目を見る

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世界大百科事典(旧版)内の貫流の言及

【槍術】より

…江戸時代になると,槍は武士のもつ武具として,またたしなむべき武術として非常に重要な位置を占めるようになり,腰の二刀とともに武士階級を象徴するようになった。流派も数多く出現するが,素槍では,大内無辺の無辺流,竹内藤一郎の竹内流,中山源兵衛吉成の風伝流など,鎌槍では,奈良宝蔵院の僧胤栄の宝蔵院流(これは高田派,中村派,礒野派などに分派する),鍵槍では,内海六郎右衛門重次の内海流,佐分利猪之助重隆の佐分利流,管槍は,伊東紀伊守祐忠の伊東流,小笠原内記貞春の日本覚天流,津田権之丞信之の貫流などがおもな流派である。江戸時代初期にほぼ完成をみた槍術は,中期から後期にかけて技や理論もくふう研究され,とくに練習法の進歩はめざましく,双方が防具を着けて仕合稽古を行うようになった。…

※「貫流」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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