日本歴史地名大系 「大蘆村」の解説 大蘆村おおあしむら 福島県:大沼郡昭和村大蘆村[現在地名]昭和村大芦(おおあし)喰丸(くいまる)村の西二一町に位置し、御前(おまえ)ヶ岳(一二三三メートル)より流出する見沢(みさわ)川・和の沢(わのさわ)川・畑沢(はたさわ)川の氾濫原に本村のほか中見沢(なかみさわ)・山崎(やまざき)・大向(おおむかい)・中組(なかぐみ)・赤田(あかた)の集落が点在する。本村の南一里八町の山中には木地小屋松沢(まつざわ)がある。大足とも記される。文禄三年(一五九四)の年貢割付状(五十嵐家文書)が現存し、金山(かねやま)谷では唯一の史料とされ、高二七七石余、免二ツで、「荒不作算違何成いつれもおしこめて 物成 永楽払にて八貫文」とある。 大蘆村おおあしむら 福島県:耶麻郡高郷村大蘆村[現在地名]高郷村揚津(あがつ)赤岩(あかいわ)村・中山(なかやま)村の北東山間にあり、大谷組に属した。東は耶麻郡の利田(かがた)村。本村の南に端村橋沢(はしのさわ)があり、中山村の端村橋沢に連なる。「会津鑑」では小名としてツツミ・西山・下平をあげる。伝承によると、かつて当地には周囲一〇〇間余の池があったという。上林(かんばやし)村(現山都町)の住人福地越後なる者が、池の水を引いて田地を開こうとしたが、池にすむ蛟のためにうまくいかなかった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by