日本歴史地名大系 「大谷城跡」の解説 大谷城跡おおたにじようあと 高知県:香美郡野市町大谷村大谷城跡[現在地名]野市町大谷大日(だいにち)寺と大谷神社のほぼ中間、小字土居(どい)にあった大谷氏の居城跡。現在は耕地と宅地になっている。大谷氏は香美郡山田(やまだ)郷(現土佐山田町)の楠目(くずめ)城主山田元義の一族といわれ、吾川(あがわ)郡神(こう)ノ谷(たに)村(現伊野町)に居住していた神谷出雲守道直が大永―天文(一五二一―五五)頃大谷に移って拠城、改姓して大谷氏を称し、その子左馬介のとき勢力が強大となって深淵(ふかぶち)郷を支配したという。当時、安芸氏の西進にあって香宗我部氏の深淵郷への支配力が後退したため、大谷氏が勢力を伸張したようである。しかし城は天文一八年頃、長宗我部国親によって山田の楠目城、西佐古(にしさこ)の烏(からす)ヶ森(もり)城とともに攻略された。左馬介は嫡子隼人とともに安芸氏・一条氏を頼ったが、両家とも滅亡したため播磨・紀伊と遍歴して安芸郡奈半利(なはり)村(現奈半利町)に住したという(土佐物語)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報