日本歴史地名大系 「大野井庄」の解説 大野井庄おおのいのしよう 福岡県:行橋市大野井庄宇佐宮弥勒寺領庄園。庄域は井尻(いじり)川(長峡川支流)流域、今(いま)川と長峡(ながお)川に挟まれた沖積地に広がり、仲津(なかつ)郡を中心とし京都(みやこ)郡にまたがる。現行橋市大野井は遺称地。建久八年(一一九七)の豊前国図田帳断簡(到津文書/鎌倉遺文二)によれば、「大乃井庄」のうち一五町が京都郡に含まれていた。またこの庄田のほかに弥勒寺領の加納得善名の内として、大野井例名とよばれる一五町ほどの田地が京都郡内にあった。同図田帳は後欠のため仲津郡内の状況は不明だが、当庄の主要部分は仲津郡にあったと思われる。ほぼ同時期とみられる弥勒寺喜多院所領注進状(石清水文書/大日本古文書四―二)によれば、庄田四〇町と名田八〇町の規模であった。弥勒寺領は本家である山城石清水(いわしみず)八幡宮社務坊の善法寺家に相伝されており、承久二年(一二二〇)一二月一〇日に祐清から子の宝清に(「大善法寺祐清譲状」同文書/鎌倉遺文四)、仁治三年(一二四二)に宝清から子の宮清に(同年九月二五日「家田宝清譲状」同文書/鎌倉遺文八)、永仁五年(一二九七)六月には宮清の子尚清から嫡子通清に譲られている(「尚清処分帳」同文書/鎌倉遺文二五)。同時に作成された尚清置文(同上)は、娘の「あこ」が尼になれば当庄を一期分として譲り、のちに通清へ渡すと定めている。しかし「あこ」への譲与はなかったようで、正安二年(一三〇〇)尚清は律院善法(ぜんぽう)寺(現京都府八幡市)に当庄をその供料として寄せている(同年一一月一日「善法寺尚清置文案」八幡善法寺文書/鎌倉遺文二七)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by