日本歴史地名大系 「大長村」の解説
大長村
おおちようむら
元和五年(一六一九)の安芸国知行帳では大崎上・下両島を併せた地が大崎島として二六四〇・三九石、同村新かい一六・〇七石とあり、寛永一五年(一六三八)の大長村地詰帳(宇津神社蔵)によると、大長・沖友・御手洗の三地域を含めて田方一〇町四反余、畠四四町五反余、屋敷四反五畝余(五四軒)で、村高は三一九・六六一石。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
元和五年(一六一九)の安芸国知行帳では大崎上・下両島を併せた地が大崎島として二六四〇・三九石、同村新かい一六・〇七石とあり、寛永一五年(一六三八)の大長村地詰帳(宇津神社蔵)によると、大長・沖友・御手洗の三地域を含めて田方一〇町四反余、畠四四町五反余、屋敷四反五畝余(五四軒)で、村高は三一九・六六一石。
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半夏ともいう。七十二候の一つで,本来は夏至後 10日目から小暑の前日までをいったが,現行暦では太陽の黄経が 100°に達する日 (7月1日か2日) を半夏生とし,雑節の一つとして記載している。この頃半...