大雲寺町(読み)だいうんじちよう

日本歴史地名大系 「大雲寺町」の解説

大雲寺町
だいうんじちよう

[現在地名]山崎町山崎上寺うえでら

山崎城下一一ヵ町の一つ。城下北端の篠の丸ささのまる山の東麓に位置する。紺屋こんや町の西に接し、北魚きたうお町西部から北へ延びる通りの両側町。町名は寺名に由来する。山崎藩主池田輝澄は城下町形成にあたって城の鬼門守護と北方の警備を兼ねたてら町を計画し、のちに寺町と称された(以上、文化一四年「山崎町町屋配置図」山崎町史など)。地子米は寛文一二年(一六七二)四石余、享保一五年(一七三〇)三石余(山崎町史)。貞享五年(一六八八)の惣町中地詰帳(阿波屋文書)によると、通りの東側に一二軒、西側に一六軒、大雲寺以北の片原かたはら町の通りの東側に一三軒の町屋があり、屋敷面積は片原町を含めて六反余、地子米四石余。


大雲寺町
だいうんじちよう

[現在地名]岡山市中央町ちゆうおうちよう南中央町みなみちゆうおうちよう東中央町ひがしちゆうおうちよう表町おもてちよう三丁目

外堀の西側で庭瀬にわせに向かう道沿いの両側町。南北の道が当町中央で交差する。東は外堀・大雲寺町口門に続く。南は大工だいく町・尾上おのうえ町・七軒しちけん町、西は細堀と道を隔て浜田はまだ町・かわら町。北は外堀・尾上町。寛永城下絵図では西半分は庭瀬への道南側の片側町で大雲寺町とみえる。「吉備温故秘録」によれば、小早川秀秋の時代に大雲寺を西大寺さいだいじ町から当町へ移した。当時は町屋はなく少々の在家だけであったが、しだいに商家が多くなり大雲寺町と称したという。町内に東片側で南北に延びる大雲寺屋敷町がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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