大須賀さと子(読み)オオスガ サトコ

20世紀日本人名事典 「大須賀さと子」の解説

大須賀 さと子
オオスガ サトコ

明治期の社会運動家



生年
明治14(1881)年9月4日

没年
大正2(1913)年5月27日

出生地
愛知県額田郡藤川村(現・岡崎市)

本名
大須賀 さと(オオスガ サト)

別名
ニックネーム=円満女史

学歴〔年〕
日本女医学校卒

経歴
小学校を卒業してしばらく家業を手伝ったのち上京、はじめ青山女学院、ついで日本女医学校に学ぶ。在学中から幸徳秋水堺利彦らの金曜会講演会に参加し、社会主義に触れた。この頃、社会運動家の山川均や神川松子らと知り合い、山川らが「総同盟罷工論」を秘密出版する際には自身の下宿を提供。明治41年山川と結婚するが、同年6月の赤旗事件で夫共々逮捕され、重禁固1年の判決を受けた。その後は独学で写真術を学び、夫の出獄後に一旦帰郷。43年岡山で薬局を経営していた夫の許に戻るが、間もなく病に罹り、大正2年5月に死去した。女性エスペランチスト草分けとしても知られ、“円満女史”のニックネームで同志に慕われた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大須賀さと子」の解説

大須賀さと子 おおすが-さとこ

1881-1913 明治-大正時代の社会運動家。
明治14年9月4日生まれ。幸徳秋水,堺利彦の金曜会講演会にくわわる。明治41年山川均(ひとし)と結婚。同年夫らとともに赤旗事件で検挙され重禁固1年,夫は懲役2年の刑をうける。エスペランチストとして知られた。大正2年5月27日死去。33歳。愛知県出身。日本女医学校卒。あだ名は円満女史。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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