日本歴史地名大系 「大願寺跡」の解説
大願寺跡
だいがんじあと
答院氏の重成(公重)により一関宗万を開山、起宗宗胄(応永三年没)を初住として創建され(
答院記)、その後
答院氏の菩提寺となったと伝える(扶桑五山記)。しかし「三国名勝図会」は当寺の末寺
答院町)に残された開山の一関の位牌に文和元年(一三五二)遷化とあることから、寺の創建年と一関の遷化年の矛盾を指摘し、位牌の年が誤りか、あるいは当寺創建が文和以前にさかのぼるかと考察している。また同書は天台宗としているが、山号および開山などから臨済宗寺院であったことが明らかである。
応安五年(一三七二)九月四日付の当寺における軍勢甲乙人等の濫妨等を禁じた沙弥某禁制案と、大願寺長老に宛て祈祷を命じた沙弥某依頼状案(ともに答院記)が伝えられていた。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報