大鳥城(読み)おおとりじょう

日本の城がわかる事典 「大鳥城」の解説

おおとりじょう【大鳥城】

福島県福島市の飯坂温泉の舘の山(比高約120m)にあった平安時代末期の山城(やまじろ)。奥州平泉の藤原泰衡(やすひら)の郎従で信夫庄司だった佐藤基治(もとはる)(元治)の居城。基治は源義経の郎党の佐藤継信・忠信兄弟の父にあたる。基治は一族郎党とともに1189年(文治5)8月、源頼朝率いる奥州討伐軍(義経をかくまった奥州藤原氏討伐軍)の本軍と戦ったが(石那坂の戦い)、その際、大鳥城は落城した。この戦いの後、佐藤一族は赦免され、その後も大鳥城を居城としていたが、13世紀初めに伊勢(三重県)に移り、全国の佐藤姓の源流の一つになったとされている。ちなみに、この戦いで戦功のあった常陸入道念西が伊達郡を賜り、伊達氏を興した。大鳥城跡は現在、舘の山公園となっている。舘の山の山頂部には主郭、その西側には櫓(やぐら)跡と呼ばれる郭があったことが発掘調査により明らかになっており、曲輪(くるわ)、土塁、空堀、井戸などの遺構のほか、碑や説明板がある。また、基治当時の居館は大鳥中学校や飯坂球場のある舘の山東麓にあったと推定されている。その東には大門という地名が残っており、ここに大手門があったのではないかといわれている。JR東北本線・東北新幹線福島駅からバスで飯坂温泉下車、徒歩約20分(登城口まで)。◇丸山城、鵬城とも呼ばれる。

出典 講談社日本の城がわかる事典について 情報