大門(読み)ダイモン

デジタル大辞泉 「大門」の意味・読み・例文・類語

だい‐もん【大門】

寺院のいちばん外側にある大きな門。禅寺などの正門。多くは、方位をつけて、東大門南大門などとよぶ。総門。→おおもん(大門)
社会的に地位の高い家柄。大家たいけ

おお‐と〔おほ‐〕【大門】

大きな海峡。
灯火ともしび明石あかし―に入らむ日や漕ぎ別れなむ家のあたり見ず」〈・二五四〉

おお‐もん〔おほ‐〕【大門】

邸宅や城郭などの正門。表門。だいもん。
遊郭の入り口の門。特に、江戸新吉原のものは有名。

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精選版 日本国語大辞典 「大門」の意味・読み・例文・類語

だい‐もん【大門】

  1. 〘 名詞 〙
  2. 大きな門。外構えの大きな正門。また特に、寺などの総門。大内裏大極殿の正門である応天門をさすこともある。おおもん。
    1. [初出の実例]「第二開門鼓撃訖。即開大門〈謂。朝堂南門也〉」(出典:令義解(718)宮衛)
    2. 「法性寺の大門にたちとまりたるに」(出典:更級日記(1059頃))
    3. [その他の文献]〔色葉字類抄(1177‐81)〕
  3. 社会的に地位の高い家柄。大家(たいけ)

おお‐もんおほ‥【大門】

  1. 〘 名詞 〙
  2. 邸宅、城などの第一の表門。正門。だいもん。〔日葡辞書(1603‐04)〕
  3. 遊郭の入り口にある門。新吉原のものは特に有名。
    1. [初出の実例]「まだ宵ながら荷(にな)ひ出るを、大門の番者是を見ながら」(出典:浮世草子・本朝桜陰比事(1689)五)

おお‐とおほ‥【大門】

  1. 〘 名詞 〙
  2. 大きな門。
  3. 大きな海峡。
    1. [初出の実例]「ともしびの明石大門(おほと)に入らむ日や漕ぎ別れなむ家のあたり見ず」(出典:万葉集(8C後)三・二五四)

お‐ど【大門】

  1. 〘 名詞 〙おおと(大門)

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日本歴史地名大系 「大門」の解説

大門
だいもん

高野山の西端にある一山全体の総門。楼門造の五間三門開き、高さ二五・二二メートル、間口二一・四五メートル、奥行八メートル。国指定重要文化財。両脇の金剛力士像は浪速の仏師法橋運長の作(続風土記)

創建は弘法大師在世中であったといわれ(寛永七年「堂塔建立由来書」続宝簡集)、現在地から町石道を五、六町下った九折つづら(互折)谷口で、一基の華表(鳥居)が建てられたことに始まる(御手印縁起)。華表の跡を古大門跡とよび、そこへの道を古路と称するが(続風土記)、創建の年次、正確な場所はつまびらかでない。嘉保二年(一〇九五)二月一九日大門の旧跡を尋ね求め、朽損していた鳥居を新たに建立したと堂塔建立由来書にあるが、「白河上皇高野御幸記」に「去院十一町有大鳥居一基、自此之上坂始崔嵬」とある大鳥居が大門前身の華表である。堂塔建立由来書によれば、保延(一一三五―四一)末頃(「高野春秋」は保延六年二月とする)現在地に移され、永治元年(一一四一)一一月二九日に金剛力士像とともに落慶供養が行われた。


大門
だいもん

[現在地名]花山村本沢 御堂

一迫いちはさま川左岸、花山ダム湖の北岸沿いにある集落で、近世には宿場ではないが伝馬歩夫が置かれた。当地御堂みどうにはかつて平泉藤原氏の時代以来と伝える金峰山花山かざん寺があり、その山門にちなむ地名という。当地より北西に道は二筋に分岐し、一は国見くにみ峠を越えて鬼首おにこうべ(現玉造郡鳴子町)に至り最上仙北通に通じる。これより北側、一迫川沿いに仙北通があり、寒湯ぬるゆ番所を過ぎて出羽国雄勝おがち小安おやす(現秋田県雄勝郡皆瀬村)に至る。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「大門」の意味・わかりやすい解説

大門(富山県)
だいもん

富山県西部、射水郡(いみずぐん)にあった旧町名(大門町(まち))。現在は射水市の西部を占める地域。旧大門町は1889年(明治22)町制施行。1954年(昭和29)水戸田(みとだ)、櫛田(くしだ)、浅井、二口(ふたくち)の4村と合併。2005年(平成17)新湊(しんみなと)市、射水郡小杉(こすぎ)町、大島(おおしま)町、下(しも)村と合併して射水市となる。庄(しょう)川右岸と支流和田川合流点付近の平野部と丘陵性山地からなる。1654年(承応3)の町立て以来北陸本街道の宿場町として発達した。庄川右岸の湧水(ゆうすい)地帯の広上(ひろかみ)地区にマスの養殖場があり、北隣りの射水市旧大島町域にまたがって東洋紡庄川工場が立地する。南部の丘陵地の水戸田には隣接する射水市旧小杉町域にかけて小杉流通業務団地があり、各種工場が立地する。また、ブドウなどの果樹園も分布する。国の史跡に縄文時代の串田新(くしたしん)遺跡がある。あいの風とやま鉄道(旧、JR北陸本線)の越中大門駅は旧大島町域にある。

[深井三郎]

『『大門町史』(1981・大門町)』


大門(埼玉県)
だいもん

埼玉県南東部、さいたま市緑区の綾瀬(あやせ)川右岸大宮台地上にある一地区。旧大門村。国道122号、463号、埼玉高速鉄道が通じる。江戸時代日光御成街道(にっこうおなりかいどう)の宿駅として栄えた所で、江戸末期には本陣1、脇(わき)本陣1、旅籠(はたご)6を数えた。本陣の表門は県史跡に指定されている。

[中山正民]


大門(仏寺)
だいもん

敷地や廓(くるわ)の境界に建てられる門。仏寺では南大門、東大門などと、建つ位置の方位を冠してよぶ。一般に正面入口の門を大門とよぶことが多い。大門には二重門、楼門、八脚(はっきゃく)門、四脚(しきゃく)門などがあり、形式はとくに定まっていない。仏寺の大門には、その両側に祀(まつ)られる尊像によって、仁王(におう)門(二王門)、二天門などの名のあるものもある。古代の宮城にあっては朝堂の南門を大門とも称した。また、近世では遊廓(ゆうかく)の入口の門は大門(おおもん)の名でよばれている。

[工藤圭章]


大門(遊廓)
おおもん

城郭の表門をいうが、普通、江戸時代の遊廓(ゆうかく)に出入りする門をよぶ。明暦(めいれき)の大火(1657)で江戸・日本橋から移転した新吉原(よしわら)の大門は、内側左に番所、右に会所があった。番所には町奉行(ぶぎょう)所の与力、同心、会所には番人や楼主が交代で詰めて、月行事に携わったり廓(くるわ)内の事務を処理するとともに遊女の逃亡などを監視した。早朝から夜10時まで開かれたが、普段は大門以外は通行できず、廓内で事故発生の場合には大門も閉じた。

[佐藤農人]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「大門」の意味・わかりやすい解説

大門
だいもん

富山県北西部,射水市南西部の旧町域。射水平野の西部にある。 1889年町制施行。 1954年大門町と浅井村,水戸田村,櫛田村,二口村の4村が合体して大門町が成立。 2005年新湊市,小杉町,村,大島町の1市2町1村と合体して射水市となった。中心地区の大門は庄川とその支流和田川の合流点に位置し,北陸道の宿場町として発展。高岡市の衛星都市としての性格をもつ。綿紡績工場があり,南部の丘陵の粘土を利用して瓦を特産。農村部は米作地域。サケの養魚場がある。

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百科事典マイペディア 「大門」の意味・わかりやすい解説

大門[町]【だいもん】

富山県中北部,射水(いみず)郡の旧町。庄川の下流東岸にあり,中心集落は北陸道の宿場町として発達。米作が盛んで,果樹栽培,園芸も行う。マスカットブドウ,ナシは特産品。瓦を特産。2005年11月,新湊市,射水郡小杉町,大島町,下村と合併し市制,射水市となる。21.77km2。1万2763人(2003)。

大門【だいもん】

総門とも。寺院の最も外側にある門。多くは方位をつけて東大門,西大門,南大門,北大門などと呼ぶ。普通は八脚門で楼門。南大門が最大。→寺院建築

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改訂新版 世界大百科事典 「大門」の意味・わかりやすい解説

大門(旧町) (だいもん)

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世界大百科事典(旧版)内の大門の言及

【遊郭(遊廓)】より

…例えば,伊勢参詣人を対象に古い歴史をもつ伊勢の古市(ふるいち)は茶屋町として,東海道の品川宿は形式上は飯盛旅籠(めしもりはたご)屋(飯盛女)として営業を認められていたものである。 各地によって多様な構図をもつ遊郭の基本的な設計は,上記のように周囲を溝や塀で囲み,大門(おおもん)(出入口)のみによる通行とした(裏門はあっても非常用である)。市中から大門に至る道には,遊郭行きをためらう思案橋(しあんばし),遊郭に近づいて身づくろいする衣紋坂(えもんざか)などが配置され(橋や坂は地形によって変わる),大門のそばには柳の木が植えてあることが多い。…

【吉原】より

…新吉原は揚屋(あげや)町を新設したほかは元吉原とだいたい同型に形成され(新吉原の地割については図参照),後に伏見町,堺町(その後閉鎖)が開かれた。新吉原への経路は,江戸市中から浅草へ出,日本堤から五十間道へ入り,衣紋(えもん)坂を下りて大門(おおもん)口へ至るのが普通であった。大門は吉原の玄関で,夜10時から翌朝までは大戸をしめ,くぐり門を通行させた。…

【門】より


【日本】
 神社の鳥居や,住宅の簡単な門を除いた大部分の門は,中国伝来の形式であると考えられる。門は形式によって名づけられるほか,寺院の南大門,中門,総門,三門(山門)など場所による名称,仁王(におう)門,随身(ずいじん)門など安置された像による名称があり,そのほか建礼門,桜田門など固有名詞をつけられたものなどがある。木造建築であるから,正面の柱間(はしらま)の数と,そこに開かれる戸口の数とによって,その規模が表され,五間三戸(ごけんさんこ),三間一戸,一間一戸というふうに呼ばれる。…

【家】より

…中国のすまいとしての〈家〉は,華北の窰洞(ヤオトン)式の穴居住宅や福建地方の客家(ハツカ)のあいだで見られる環形住宅などの地域差や貧富,身分(たとえば唐の場合,庶民の家は3間4架以下の規模とされ,官吏も六品官以下は3間5架以下と定められていた)によって規模や形態のちがいが著しい。中国の代表的木造建築たる四合院の様式をふくめてその特徴は,版築または磚で周囲に牆壁をめぐらし,内と外との通交は一つだけ開く大門(ターメン)によること,またそれぞれの部屋は壁などで間仕切りされて独立性が強く,院子(ユアンズ)に向かって戸や窓を開く内庭型の構造をとっていることである。部屋の独立性は構成員各人の家における人格上の独立性をうかがわせる。…

※「大門」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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