大鹿卓(読み)オオシカ タク

20世紀日本人名事典 「大鹿卓」の解説

大鹿 卓
オオシカ タク

昭和期の詩人,小説



生年
明治31(1898)年8月25日

没年
昭和34(1959)年2月1日

出生地
愛知県海東郡津島町

本名
大鹿 秀三(オオシカ ヒデゾウ)

学歴〔年〕
秋田鉱山専門学校冶金科〔大正10年〕卒,京都帝国大学経済学部中退

主な受賞名〔年〕
中央公論原稿募集入選(第3回)〔昭和10年〕「野蛮人」,新潮社文芸賞(第5回)〔昭和17年〕「渡良瀬川

経歴
大学中退後東京に戻り、大正11年東京府立第八高女の化学教師となる。この頃から詩作をはじめ、15年「兵隊」を刊行。昭和に入って小説に転じ、10年に教員をやめて作家生活に入り、佐藤春夫に師事する。14年「文芸日本」を創刊。16年足尾銅山鉱毒事件を扱った「渡良瀬川」を刊行、17年に新潮賞を受賞。他の作品に「都塵」「谷中村事件」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「大鹿卓」の意味・わかりやすい解説

大鹿卓
おおしかたく
(1898―1959)

詩人、小説家。愛知県生まれ。本名秀三。金子光晴(みつはる)の実弟。京都帝国大学経済学部を中退し、1922年(大正11)旧制東京府立第八高女の化学教師を35年(昭和10)まで勤めるかたわら、詩集『兵隊』(1926)を刊行。その後、横光利一(よこみつりいち)に師事して小説を書き、『野蛮人』(1935)で認められた。『渡良瀬(わたらせ)川』(1941)で足尾鉱毒問題に取り組み、このテーマを追究して『谷中(やなか)村事件』(1957)を刊行。

[神谷忠孝]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大鹿卓」の解説

大鹿卓 おおしか-たく

1898-1959 昭和時代の詩人,小説家。
明治31年8月25日生まれ。金子光晴の弟。大正11年東京府立第八高女の化学教師となる。15年詩集「兵隊」を刊行。のち小説に転じ「野蛮人」などを発表。昭和17年「渡良瀬川」で新潮社文芸賞。以後も「谷中村事件」などで足尾鉱毒事件を追った。昭和34年2月1日死去。60歳。愛知県出身。秋田鉱山専門学校(現秋田大)卒。京都帝大中退。本名は秀三。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「大鹿卓」の解説

大鹿 卓 (おおしか たく)

生年月日:1898年8月25日
昭和時代の詩人;小説家
1959年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の大鹿卓の言及

【金子光晴】より

…晩年は自伝小説《どくろ杯》(1971)ほかを発表,自在な語り口と,とらわれない生き方で注目された。《野蛮人》《谷中村事件》の作家大鹿卓(おおしかたく)は実弟。【首藤 基澄】。…

※「大鹿卓」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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