国指定史跡ガイド 「大鹿窪遺跡」の解説
おおしかくぼいせき【大鹿窪遺跡】
静岡県富士宮市大鹿窪にある集落跡。富士山の西麓、羽鮒(はぶな)丘陵の緩斜面に位置する縄文時代草創期の集落跡である。羽鮒丘陵は新富士火山の泥岩流によって形成された溶岩台地で、遺跡からはこの時期のものとして国内最多となる14基の竪穴(たてあな)住居が確認された。外周には柱穴がめぐり、床面中央には炉と考えられる掘り込みがあった。これらの竪穴住居は広場と推定される場所を中心に、半円形に計画的に配置されており、出土遺物は縄文土器と石器を中心に2万6000点におよぶ。おもな土器は縄でつけた文様のある押圧系や隆起線文系、爪形文系などの草創期のもので、出土石器には弓矢の先につける石鏃(せきぞく)、尖頭器などの狩猟具や、採集した木の実などを磨りつぶす道具として石皿や磨石(すりいし)、敲石(たたきいし)などがあり、草創期を特徴づける矢柄研磨器も出土した。これらの道具は、移動する生活には重くて持ち運びに不便であることから、ある期間定住したと考えられている。竪穴住居によって構成される集落跡としては最古段階の遺跡で、これまで縄文文化成立期における居住の痕跡は、洞窟や岩陰遺跡が注目されたが、開地遺跡の集落構造のあり方を知ることのできる稀少な例であることから、2008年(平成20)に国の史跡に指定された。JR身延(みのぶ)線富士宮駅から車で約15分。