日本大百科全書(ニッポニカ) 「天文法乱」の意味・わかりやすい解説
天文法乱(てんぶんほうらん)
てんぶんほうらん
「てんもんほうらん」とも、天文法華(ほっけ)の乱、天文法難ともいい、1536年(天文5)7月に、京都の日蓮(にちれん)宗を、比叡山(ひえいざん)をはじめとする諸宗が攻撃を加えた宗教戦争。当時の京都では法華一揆(いっき)の勢力が支配的で、日蓮宗二十一か本山が栄えていた。この年の2月、比叡山の僧華王房(けおうぼう)が洛中(らくちゅう)で説法をしたとき、日蓮宗の信者松本新左衛門らが問答をしかけて勝った。この松本問答を契機に両宗の対立が深まり、ついに武力による衝突にまで発展する。
比叡山延暦寺(えんりゃくじ)を盟主とする連合軍は初め劣勢であったが、近江(おうみ)(滋賀県)の六角義賢(ろっかくよしかた)が来援したので、形勢は逆転。7月23日から27日に至る激戦のすえ、京都の市街の大半が焼け、日蓮宗の本山は堺(さかい)に避難した。京都をはじめ畿内(きない)で盛んであった法華一揆が、急速に衰えていく転機となった戦乱である。
[中尾 尭]