朝日日本歴史人物事典 「天野喜四郎」の解説
天野喜四郎
生年:生年不詳
江戸中期,伊予多喜浜塩田(新居浜市)の開拓者。名は元明。備後御調郡吉和浜(尾道市)生まれ。信濃(長野県)出身の深尾権太夫による享保5(1720)年の干拓失敗のあと西条藩に招かれて移住し,藩と連絡をとり同志5名と共に,享保9年工費118貫を投じ11浜(約15町歩)を開いた。同18年には275貫余をもって,享保飢饉の難民救済策を兼ねて27町歩余の塩田を干拓した。子の喜四郎も宝暦9(1759)年から久貢新田・郷・松神子(新居浜市)の地先に塩田,畑合わせて104町歩,文化6(1809)年には4代喜四郎が北浜新開40町歩を築造,慶応1(1865)年には5代6代の親子喜四郎が40町歩の塩田を開いた。6代200年間に240町歩(約238ha)の多喜浜塩田が形成された。<参考文献>天野元敬『多喜浜塩田史』
(廣山堯道)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報