日本大百科全書(ニッポニカ) 「ロスバハの戦い」の意味・わかりやすい解説
ロスバハの戦い
ろすばはのたたかい
1757年にプロイセン、フランス間に行われた戦い。1756年5月、のちに外交革命とよばれるフランス・オーストリア同盟が成立し、プロイセンのフリードリヒ2世は国際的な孤立を恐れ、七年戦争に突入した。しかし、彼は、オーストリアの反撃にあってベーメン(ボヘミア)で敗れ、シュレージエンも占領され、ザクセンへ後退した。東方からはロシア軍が、北方からはスウェーデン軍が迫り、西方からはフランス・帝国諸侯軍4万が攻勢に転じた。フリードリヒ2世は、ライプツィヒ西方35キロメートルのロスバハRossbachにあって、1757年11月5日、迂回(うかい)中のフランス軍を三方面から攻撃、約3万の損害を与えた。この勝利は、彼の名将の名を高めたばかりでなく、フランスに対抗するドイツの民族意識を呼び起こすに至った。
[進藤牧郎]