日本歴史地名大系 「太中村」の解説 太中村たいなかむら 大阪府:摂津市太中村[現在地名]摂津市香露園(こうろえん)・昭和園(しようわえん)・桜(さくら)町一―二丁目・学園(がくえん)町一―二丁目・千里丘東(せんりおかひがし)一―三丁目、茨木(いばらき)市蔵垣内(くらかきうち)三丁目・大正(たいしよう)町など江戸時代中頃まで三宅(みやけ)村(三宅郷)の属邑で、中世は三宅庄に含まれたと思われる(茨木市の→三宅庄 →三宅村)。茨木方面への道沿いに、小坪井(こつぼい)村・乙辻(おとのつじ)村と集落を接し、耕地も著しく錯綜。三宅郷八ヵ村のなかでも、この三ヵ村はとくに密接な関係にあった。領主の変遷は鶴野(つるの)新田に同じ。寛永六年(一六二九)領主板倉重宗のときの検地帳(古木家文書)が残り、「いこま」「屋ない田」などの地名がみえ、高二六三石余のうち田方二三七石余・畑方二五石余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by