太原村(読み)たいばるむら

日本歴史地名大系 「太原村」の解説

太原村
たいばるむら

[現在地名]広川町日吉ひよし

久泉ひさいずみ村の北に位置する。大原とも記される。天正一二年(一五八四)稲員安守は当地三町など累代の知行地計七〇町の安堵大友義統に求めているが、当地には蒲池領も六町あった(同年三月一三日「稲員安守知行坪付」歴世古文書/大日本史料一一―一二)。文禄二年(一五九三)三月一八日の高良山知行所指出(稲員家文書)にもと稲員安守領の当地三町がみえる。本高一八五石余(元禄国絵図)。「在方諸覚書」では古高二九一石・役高三八九石。


太原村
たいばるむら

[現在地名]白石町大字遠江とおのえ

遠江村南東で現福富ふくどみ町に接する。正保絵図に村名がみえる。

この村も全村干拓によったもので、字地名にはこもりからみがつけられている。佐賀藩が天明三年(一七八三)に新設した六府方ろつぷがたの手になった六府方搦の地名もある。江戸時代は佐賀本藩領。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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