日吉村(読み)ひよしむら

日本歴史地名大系 「日吉村」の解説

日吉村
ひよしむら

[現在地名]今治市南日吉みなみひよし町一―三丁目・中日吉なかひよし町一―三丁目・北日吉きたひよし町一―三丁目・鯉池こいけ町一―二丁目・常盤ときわ町四―八丁目・山方やまかた・山方町一―二丁目・宮下みやした町一―二丁目・高地こうち町・南宝来みなみほうらい町一丁目・北宝来きたほうらい町一―四丁目

今治平野中央部の大村で南北に長く、南の平坦部分は現今治市の市街地となっている。北は標高二四三・七メートルの近見ちかみ山山頂付近で石井いしい高部たかべ阿方あがた延喜えんぎの各村と接する。南は山路やまじ村・馬越うまごえ村・片山かたやま村・ごう村・蔵敷くらしき村と接し、東は別宮べつく村・今治村と接する。

近見山山麓から高地海禅かいぜん寺裏山にかけて多数の土壙墓や円墳がみられる。

日吉村
ひよしむら

[現在地名]沼津市大岡おおおか山王台さんのうだい

沼津三枚橋さんまいばし町の東、狩野かの川の下流右岸に位置し、北方のかど池方面から流れてきた浪人ろうにん川が村内を貫流して狩野川に注ぐ。狩野川の対岸南方は上香貫かみかぬき村、北は高田たかだ村。村の南部を東海道が東西に通る。集落は街道から一町ほど離れた三枚橋町日吉山王社(現日枝神社)の北側に形成され、村名は同社に由来するという。宿村大概帳には「往還道長四町七間之内家居少し、其余は並木也」と記される。天文二二年(一五五三)三月二一日今川義元は「日吉村神主与二郎」(大森氏)に日吉山王社の神領八町八段を、今川氏輝以来に倣って安堵している。

日吉村
ひよしむら

[現在地名]八雲村日吉

現八雲村の北端、意宇いう川沿いに位置し、北は大草おおくさ(現松江市)、東は春日かすが(現東出雲町)、南は西岩坂にしいわさか村、西は大庭おおば(現松江市)。中世は石坂いわさか郷に含まれたとみられる。毛利軍と尼子軍の戦いに関連する推定永禄一二年(一五六九)七月一八日の毛利輝元・隆景連署状(閥閲録)に地名がみえる。正保国絵図に村名がみえ、元禄十年出雲国郷帳によると高二一四石余、うち九〇石余は永荒で残高一二三石余。

日吉村
ひよしむら

[現在地名]阿南町和合わごう 日吉

現阿南町南部に位置。北は和合村、東は帯川おびかわ村、南は新野にいの村・売木うるぎ村、西は平谷ひらや村に接する。

村高は、正保四年(一六四七)に一四石余(信濃国絵図高辻)

「長野県町村誌」に「和合の支村にして大永元年一村になる」とある。

毎年卯月八日(現在は四月二九日)村の氏神伊勢いせ社に祀る御鍬大明神の祭が行われる。享保(一七一六―三六)の頃伊勢から伝えられたといわれ、昔この時期に飢饉があり、この日、鎌止めをすると立願したのが始まりとも、豊年万作の祈願ともいわれる。この日は「鍬止め」または「鎌止め」といって、鍬や鎌などの道具を休ませ、農耕や草刈りを休む。

祭は前日、村の若者たちが祭具の準備をし、当日は朝、伊勢社に参集し、祭事の後、鍬形を神輿に移し、榊・旗・鍬形・みこし・奴・笠太鼓・旗・花・柳の順に行列を組み、「岡崎」「豊年」「ツツドン」「祇園囃子」の囃子で境内を練りだし、木製の大鍬をかついだものを先頭に、川向いの八幡社に行き、それから日吉の西、御鍬大明神の元社がある金谷集落まで行き、「ヤアレ、かかあもちあげろ、三百年の豊年だ」とおもしろく練って、お鍬様の神輿を安置し、「鈴の舞」「地固め舞」「四つ舞」「三つ舞」の神楽を奉納し、やがて神輿は行列を組み、お練りを続け、伊勢社へ帰る。

日吉村
ひよしむら

[現在地名]上県町佐須奈乙さすなおつ 日吉

佐須奈村本村(大戸)の東にある枝郷。中世以来日吉山王権現を祀り、村名の由来となった。比叡山の神を祀ったもので、府中ふちゆう(現厳原町)の日吉神を配祀したという(津島紀事)。建武三年(一三三六)二月九日の某所領注文写(島居文書)に「ひよしの さこのさいけのこのかうミ」とある。ただし「ひよしの」は「ひよしとの」(日吉社の神職であろう)の誤記とされる。嘉吉元年(一四四一)「さこの郡ひよし」の在家のうち塩田に代えて、「みねのひよしさけ」(在家)知行が宗太郎殿に認められている(同年閏九月五日「宗貞盛書下」豊崎郷給人等判物写)。慶長五年(一六〇〇)朝鮮出兵での功により武田喜兵衛が宛行われた糸瀬知行分の内訳は佐須奈・佐護・壱岐の給分として、東西の境を「ひよしのめんてん」とする「地主の畠弐斗六升まき」を含むものであった(同年三月二日「宗義智給分坪付写」佐護郷給人等判物写など)

日吉村
ひよしむら

面積:八八・九一平方キロ

北宇和郡東部の高知県に接する山村。土佐湾に注ぐ四万十しまんと川支流の広見ひろみ川上流域を占める。周囲は五〇〇―七〇〇メートル級の山岳に囲まれ、わずかに開けた河岸段丘沿いに集落や耕地が展開する。下鍵山しもかぎやまが村の中心地で街村を形成する。近世には製紙業、現在は構造改善事業のなかで造林、栗・椎茸栽培が盛んである。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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