太子山町(読み)たいしやまちよう

日本歴史地名大系 「太子山町」の解説

太子山町
たいしやまちよう

下京油小路通仏光寺下ル

南北に通る油小路あぶらのこうじ(旧油小路)を挟む両側町。

平安京の条坊では左京五条二坊三保一一町の東側及び同三保一四町西側の地、平安中期以降は高辻たかつじ油小路の北にあたる。

正嘉年中(一二五七―五九)醍醐だいご(現伏見区)の僧覚済によって、町内東側の地に八講はつこう堂が中興された。同堂は空海が河内国古市ふるいち郡中村(現羽曳野市)に創建した真言宗の寺であった。応仁の乱で荒廃し、後に一条室町(現上京区)に移転、更に寺町丸太まるた(現中京区)出水でみず六軒ろつけん(現上京区)に転じて、現在は福勝ふくしよう寺として残る。応永三二年(一四二五)、三三年の酒屋交名(北野天満宮史料)に「五条坊門油少路南東頬 浄善在判」「武蔵 五条坊門油少路南東頬 定宣在判」「大弐 五条坊門油少路西南頬 宗円在判」など町内北側に数軒の酒屋があったことがわかる。当町は古くから祇園会前祭さきのまつり山鉾を出し、「祇園社記」によると応仁の乱以前には「一、太子ほく 五条坊門油小路と高辻間」とあり太子鉾を、乱後の明応九年(一五〇〇)再興の際も、「四番、たい子のそま入山五条坊門油小路ト高辻ノ間也」とあって、太子山を巡行

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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