太尾山城跡(読み)ふとおやまじようあと

日本歴史地名大系 「太尾山城跡」の解説

太尾山城跡
ふとおやまじようあと

[現在地名]米原町米原

米原東方の標高約二五四メートルの太尾山(米原山)の尾根上に築かれた中世の城。築城年代は不詳だが、文明二年(一四七〇)京極持清の没後に起こった多賀高忠と多賀清直の対立に際し、翌年清直方の美濃斎藤妙椿の軍勢が米原山を攻撃している。当城では高忠方の今井秀遠・岩脇駿河らが奮戦したが、同三年二月二八日に岩脇駿河が戦死(今井軍記)。以後当城には六角方の米原氏が在城したと伝える。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

日本の株式の水準を示す、東京証券取引所第1部225銘柄の平均株価。単位は円。構成銘柄は時価総額の分布の変化などにより、適宜入れ替えられている。現在の形になったのは1985年5月からである。ダウ・ジョー...

日経平均株価の用語解説を読む