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多賀高忠 たが たかただ

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

多賀高忠 たが-たかただ

1425-1486 室町時代の武将,有職(ゆうそく)家。
応永32年生まれ。京極氏の重臣で,幕府侍所所司代を2度つとめる。応仁(おうにん)の乱では京極持清のもとで東軍にくわわる。和歌・連歌にすぐれ,また弓馬の故実に精通。文明18年8月17日死去。62歳。通称は新左衛門。号は大源。著作に「美人草」「射手検見次第」など。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

多賀高忠

没年:文明18.8.17(1486.9.14)
生年:応永32(1425)
室町時代の武将,近江(滋賀県)京極氏の重臣,室町幕府侍所所司代,武家故実家。通称は新左衛門,豊後守。近江国犬上郡多賀氏多賀高長の子として生まれる。京極持清の弟で高長の養子とする説もあるが信じがたい。寛正3(1462)年10月5日幕府侍所所司代となるが,文正1(1466)年12月末,所司京極持清の京都出奔と同時に解任された。翌年に始まる応仁の乱では東軍(細川勝元方)持清麾下として近江・京都を転戦。文明1(1469)年8月観音寺城を攻落,六角高頼を追い将軍足利義政から感状を受けている。持清没後の京極氏の内訌では,京極政高(政経)にくみして京極政光・高清,坂田郡多賀氏多賀出雲守らと抗争。同7年10月政高と共に近江を追われ京都に雌伏したが,17年4月15日所司代に再任,その死に至るまで京都の治安維持に従事した。小笠原持長に弓馬故実を学び,騎射に精妙を極めた。また和歌,連歌に長じ,名庭として名高かった京都の私邸では,しばしば歌会が催されていた。正徹の『草根集』に和歌10首が載せられている。著作に『多賀高忠聞書』(『美人草』),『就弓馬儀大概聞書』『弓矢相伝之事』ほか多数がある。ただし,大略は小笠原氏からの聞書である。<参考文献>二木謙一「故実家多賀高忠」(『中世武家儀礼の研究』)

(二木謙一)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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