太田仁吉(読み)オオタ ニキチ

20世紀日本人名事典 「太田仁吉」の解説

太田 仁吉
オオタ ニキチ

昭和期の記録映画作家



生年
明治26(1893)年3月25日

没年
昭和29(1954)年1月1日

出生地
北海道札幌郡豊平村

学歴〔年〕
札幌師範学校卒

経歴
小学校訓導となり、在職18年。その間昭和7年東京・芝の赤羽小在職中、横浜シネマと協力して科学教材映画「かえる」を製作。学校を辞め9年十字屋に入り映画部を創設、科学映画の製作に専念。11年「蟬の一生」「蜂の一生」、次いで「もんしろ蝶の話」「種子は風に乗って」「人と寄生虫」「稲熱病」「食用蛙」などを作った。16年十字屋映画部は日本映画社に統合され、終戦まで意欲喪失。戦後27年から活動、「生きているパン」「あげはちょう」「稲の一生」「ニホンザルの自然社会」「阿寒湖のまりも」「日本の稲作」など、貴重な秀作を残した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「太田仁吉」の解説

太田仁吉 おおた-にきち

1893-1954 昭和時代の記録映画作家。
明治26年3月25日生まれ。東京赤羽小学校在職中の昭和7年,日本初の理科教材用の映画「かえる」を製作し好評をえる。9年十字屋映画部を創設。以後科学映画の製作に専念,「蝉(せみ)の一生」「稲の一生」など,すぐれた作品をのこした。昭和29年1月1日死去。60歳。北海道出身。札幌師範卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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