太良庄村
たらのしようむら
本保村の西南に位置する。北・東・西の三方は山に囲まれ、南へ扇状に緩傾斜した平地部の南端は北川。古代は丹生郷(和名抄)の地。中世には京都東寺領太良庄であった。太良・太良庄の二集落からなり、荘園時代の地名として谷・定国・鳴滝が残る。
荘園の機能は領家方代官の不在でしだいに失われ、一五世紀終り頃には守護方の一円支配となった。しかし機構は東寺支配の形態を引継いでおり、守護方半済給人山県氏へ出された天文二〇年(一五五一)九月一四日付の太良庄本所方指出(高鳥家文書)にそれがみられる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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