日本歴史地名大系 「太良庄」の解説
太良庄
たらのしよう
西は
天治二年(一一二五)下野守平師季の子丹生次郎隆清からその私領
時国は比企の乱に連座した忠季に替わり建仁三年(一二〇三)地頭となった中条家長の代官となる一方、左少将源家兼の家人となっている。その家兼の父前治部卿兼定(おそらく国主)は建保四年(一二一六)二月までに保の年貢の一部を、七条院の建立した
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
西は
天治二年(一一二五)下野守平師季の子丹生次郎隆清からその私領
時国は比企の乱に連座した忠季に替わり建仁三年(一二〇三)地頭となった中条家長の代官となる一方、左少将源家兼の家人となっている。その家兼の父前治部卿兼定(おそらく国主)は建保四年(一二一六)二月までに保の年貢の一部を、七条院の建立した
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