太郎生村(読み)たろおむら

日本歴史地名大系 「太郎生村」の解説

太郎生村
たろおむら

[現在地名]美杉村太郎生

名張なばり川上流の河谷段丘上にあ、川に沿って初瀬はせ(伊勢)本街道が名張より石名原いしなはら村へ通じる。東部大洞おおぼら(九八五メートル)あまヶ岳(九五七メートル)を中心とする大洞山地が、西境倶留尊くろそ(一〇三七・六メートル)国見くにみ(八八三メートル)を主峰とする室生むろう火山群が連なり、大和国との国界をなす。中世末までは伊賀国名張郡に属した。

村名は承平四年(九三四)一二月一九日付伊賀国夏見郷刀禰等解(光明寺古文書)の伊勢大神宮所領の四至を注進した地名に「太良牟」とある。建久三年(一一九二)八月の神領注文(神宮雑書)にも「多良牟六箇山二宮御領」とあり、下って「神鳳鈔」にも伊賀国に「多良牟六箇山」とあり、つねに太郎生より北の名張川中流域山地、六箇山むこやまを含めた地を合せて神領とされて支配が行われたと思われる。「六箇山」は「外宮神領目録」には「六箇山内上河 比奈知 滝原 奈□」とあり、また「神鳳鈔」には、多良牟六箇山は、面積は「五十三丁五反」、神宮への貢納は「御饌調備料箕藤黒葛并三度御祭御贄等雑器料正目檜木、此外苧麻布紙等勤之」とあって、中世においてはこの地から箕や藤づる、また六月・九月・一二月の三節祭の御贄の雑器料の柾目の檜・苧麻布・紙といった山村産物を貢納する地であった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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