日本歴史地名大系 「太郎生村」の解説
太郎生村
たろおむら
村名は承平四年(九三四)一二月一九日付伊賀国夏見郷刀禰等解(光明寺古文書)の伊勢大神宮所領の四至を注進した地名に「太良牟」とある。建久三年(一一九二)八月の神領注文(神宮雑書)にも「多良牟六箇山二宮御領」とあり、下って「神鳳鈔」にも伊賀国に「多良牟六箇山」とあり、つねに太郎生より北の名張川中流域山地、之」とあって、中世においてはこの地から箕や藤づる、また六月・九月・一二月の三節祭の御贄の雑器料の柾目の檜・苧麻布・紙といった山村の産物を貢納する地であった。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報