大洞(読み)おおほら

日本歴史地名大系 「大洞」の解説

大洞
おおほら

[現在地名]南陽市川樋

川樋かわとい地内にあり、中川なかがわ盆地東部、たかツムジ山西裾の小集落。天正一三年(一五八五)北条段銭帳によれば「北条之内、大ほらあわの津ま分壱まん千仁百苅役ニ、御段銭仁十五文かゝりに、仁〆八百文」を粟野沙弥と同備中守が納めている。金鉱採掘が伊達氏時代から行われ、寛永(一六二四―四四)には代官安部右馬之助が鉱山を支配した。銀山ぎんざんの小地名が残り、道路の一部には敷石もみられ、大洞千軒、娼妓二〇〇名の口碑もある。寛永一九年農村衰微の理由で藩内各鉱山とともに廃止を命ぜられた(東置賜郡史)。寛文四年(一六六四)屋代やしろ郷が幕府領米沢藩預地となったのに伴い藪口番所が設けられ、当地区から二井宿にいじゆく(現東置賜郡高畠町)へ通ずる道の取締が行われた。


大洞
おおぼら

[現在地名]真田町大字長

真田から鳥居とりい峠越えの上州道(現国道一四四号)土合どあい(現菅平口)で分岐した菅平すがだいら道の途中にあった渓谷の集落。明治二〇年(一八八七)から三〇年代にかけて、養蚕隆盛期に大日向おおひなたからの移住民によりできた。

昭和四一年(一九六六)着工、同四四年三月完成の菅平ダムにより湖底に沈み、西寄りの高所に移転し、現在に至る。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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