日本歴史地名大系 「奈良新田」の解説 奈良新田ならしんでん 三重県:鈴鹿市旧鈴鹿郡地区奈良新田[現在地名]鈴鹿市住吉町・住吉一―五丁目国府(こう)村の東方約二キロ、半沢(はんざわ)を中心とする地域で、一部は平野(ひらの)村にかかるが大部分は国府村地内で、別名国府新田とも称した。付近は道伯(どうはく)台地の北麓地帯で、北西に平野新田、東に河曲(かわわ)郡岡山(おかやま)新田(現道伯町)などがある。延宝二年(一六七四)亀山藩家老大石忠左衛門・板倉杢右衛門が南都(現奈良市)の町人石井助六以下八名に与えた定(住吉町石井幸男氏蔵)によると、「国府平野両村松山之内新田高千石、自分之入用を以」て開発したいとの望みにつき、その地面を渡す。 奈良新田ならしんでん 埼玉県:熊谷市奈良新田[現在地名]熊谷市奈良新田幡羅(はら)郡忍(おし)領に所属(風土記稿)。郷帳類には中奈良新田などと記される。荒川の沖積扇状地北東端に位置し、南は上奈良村、東は中奈良村、西は東別府(ひがしべつぷ)村。慶長一二年(一六〇七)の検地の頃は上奈良村の内に属して仁左衛門(にざえもん)新田と称されていたという(同書)。田園簿では田方四一二石余・畑方九二石余、旗本安部・牧野など三家の相給。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by