日本歴史地名大系 「奉免村」の解説 奉免村ほうめんむら 千葉県:市川市奉免村[現在地名]市川市奉免町北方(ぼつけ)村の北東に位置し、小さな谷地を挟んで北東は柏井(かしわい)村。集落は高台のへりに形成された。中世には八幡(やわた)庄のうちであったと推測される。応永一七年(一四一〇)の香取造営料足納帳(静嘉堂文庫)には栗原三郎殿沙汰として「奉免 田数三丁三反六十歩」とある。大永二年(一五二二)一一月の浄光院定書案(浄光院文書)によると、「法免・安楽寺二郷」などの弟子・檀那の進退権は法華経寺の子院浄光(じようこう)院が保持していた。なおここにみえる安楽(あんらく)寺は地内日蓮宗安楽寺に関係すると思われる。 奉免村ほうめむら 千葉県:市原市奉免村[現在地名]市原市奉免妙香(みようこう)村の南東に位置する。天正一九年(一五九一)八月に検地があったとされる(上総国町村誌)。文禄三年(一五九四)の上総国村高帳に奉目村とみえ、高二九二石。正保国絵図に奉免、寛文四年(一六六四)の久世広之領知目録(寛文朱印留)に奉免村とある。元禄郷帳では高三〇三石余で、幕末までほぼ同様。寛政五年(一七九三)の上総国村高帳では家数六八で、旗本酒井・夏目領。旧高旧領取調帳は酒井領二三二石余・夏目領六七石余のほか、満蔵(まんぞう)寺領七石余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報