朝日日本歴史人物事典 「奥劣斎」の解説
奥劣斎
生年:安永9.5.28(1780.6.30)
江戸後期の産科医。姓は源,名は之基,字は子譲,劣斎は号,通称は道逸。山城国(京都府)八幡生まれ。父道栄は内科医。京都に出て山脇東門に内科を学び,3代賀川玄悦に産科を学んだ。文政7(1824)年法橋,文政12年准三后の産後尿閉をカテーテルで治した功により法眼に叙せられた。名声を慕い,門人は1000人に達したという。劣斎の発明のうち,発啼術(新生児蘇生法),双全術(足位回転術)が有名である。『産論校註』『達生園産科外術秘録』などの著書があり,ガレノス,ヒポクラテスらを引用し,漢蘭折衷派とされる。嫡男の之紀が,劣斎を継ぐ。<参考文献>緒方正清『日本産科学史』
(石原力)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報