朝日日本歴史人物事典 「山脇東門」の解説
山脇東門
生年:元文1.8.18(1736.9.22)
江戸中期の医者。名は陶,字は大鋳,通称玄侃,東門は号,また方学居士。父東洋の第2子として京都に生まれた。17歳のとき父の命で永富独嘯庵 と共に越前に赴き,奥村良竹 に吐方の術を学んだ。宝暦12(1762)年,父の死にともない家督を継ぐ。明和3(1766)年法眼に叙位。同8年には女子屍体を解視して解剖図譜『玉砕臓図』を作製。のちにも数体の解剖を行い,その重要性を説いた。また吉雄耕牛からは刺絡(瀉血療法)の教えを受け,同療法の啓蒙にも力を注ぎ,かつ古方,後世方のいずれにも偏しない臨床優先の立場をとった。嗣子東海も家学を継ぎ,解剖経験を重ねた。生年や没日には異説もある。
(小曾戸洋)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報