奥原村(読み)おくはらむら

日本歴史地名大系 「奥原村」の解説

奥原村
おくはらむら

[現在地名]七尾市奥原町

七尾西湾沿岸東端に位置し、北は和倉わくら村、東は石崎いしざき村・祖浜そはま村。湾に面して奥原潟がある。承久三年(一二二一)九月六日の能登国田数注文に奥原保とみえ、同元年の国衙の検注により公田一町三段五(もと一町六段五)となった。建武二年(一三三五)三月一七日と七月一四日の万行胤成(成光)田屋敷譲状(天野文書)にみえる胤成の嫡男奥原斎藤四郎茂成と次男の奥原斎藤七郎真将は、ともに奥原保を名字の地としていた。


奥原村
おくばらむら

[現在地名]芸北町奥原

土橋つちばし村の南に位置し、滝山たきやま川の上流沿いの標高約六五〇メートルの地に集落が点在する。東は草安くさやす村、西は石見国波佐はざ(現島根県那賀郡金城町)、南は苅屋形かりやがた村と接する。「大利原村開闢ニ付、大利原村を台として奥ニ当ル故奥原と名付」(国郡志下調書出帳)と伝える。元和五年(一六一九)の安芸国知行帳による高は八二・六一九石。「国郡志下調書出帳」によると、正保三年(一六四六)の地詰で一五九・六石となった。寛延三年(一七五〇)より定免二・六五の低率に決まった。広島藩領で給知村。

農業を主とする村で、雑穀には大豆・小豆・稗・蕎麦・粟・熊子くまご・麻などが作られた。


奥原村
おくばらむら

[現在地名]牛久町奥原

小野おの川左岸にあり、北は井之岡いのおか村、西は島田しまだ村。天正期(一五七三―九二)には江戸崎城(現江戸崎町)に拠った土岐氏の支配下にあったと思われる。その後蘆名氏領を経て、天領となり、慶長八年(一六〇三)の江戸崎領内奥原村御縄打帳写(奥原文書)によると、耕作面積六三町八反余、村高四九八石余、屋敷数四〇。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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