村中入会(読み)むらじゅういりあい

改訂新版 世界大百科事典 「村中入会」の意味・わかりやすい解説

村中入会 (むらじゅういりあい)

日本の近世期における農用林野利用の一形態。小農が自立して本百姓となり,本百姓(高持百姓)を村落構成員とする近世村落(小農村落)が成立すると,自立した本百姓の生産・生活を維持・補強するために,村落構成員(本百姓)のすべてが村落規制のもとにある入会地(刈敷山(かりしきやま),柴山秣場(まぐさば),萱場(かやば)など)に対して共同の利用権を持つ。このような農用林野の利用形態が村中入会で,林野に対する近世領主権の支配の確立と,そのもとにおける小農の本百姓への自立とをまって,はじめて成立する。近世から明治にかけて存続した入会の原型を令制の〈山川藪沢公私共利〉という規定に見いだして,入会の超歴史的性格を承認しようとする見解もあるが,林野利用の諸形態は農業生産の発達水準とそれに対応する村落構造の特質,およびそれらに制約された領主の林野支配のあり方に規定されている。

 太閤検地は当初から田,畑,屋敷の量(面積,石高)とその所持者を把握して,これを権力の基礎に据えることをねらっていたが,林野についてはその把握の方向を直ちに明確には打ち出さず,農民の林野利用の旧慣を全面的に認める方向をとった。そこでの農民の林野利用は旧名主(みようしゆ)層の系譜をひく有力農民の個別的占有・利用であり,その個別的占有が相互に衝突して山論を誘起した場合に,無占有地に認められた旧名主層の林野利用が,戦国大名や江戸幕府初期の法令などで〈入会〉あるいは〈入組〉などと呼ばれている。しかしこれは17世紀末以後に成立する入会とは異なる。

戦国末~近世初頭の林野利用の状況から村中入会への移行は,林野に対する近世領主権の確立過程で進行する。その過程で領主の打ち出した方策の第1は,地方知行(じかたちぎよう)者の林野に対する知行権を否定し,林野を蔵入地(くらいりち)化する方向をとる。地方知行を与えられていた家臣は,耕地とともに林野を耕地の一部として私的に支配した。盛岡藩では1630年(寛永7)知行を高請地のみに限定し,今後は高ばかりの知行と心得よと藩士に命じている。54年(承応3)の尾張藩の新田開発の方針中でも,地方知行のうちから林野を蔵入地化する方向が示されている。

 第2の方策は,林野の全面的蔵入地化のもとで幕藩営林(御林(おはやし),御山,御林山,御直立,御立山,御札山,鹿倉山など)を設定し,これを農用林野から峻別する方向をとる。農用林野から分離した幕藩営林への農民の立入りには〈木一本,首一本〉といわれる過酷な制裁を加え,他方,農用林野には山年貢,秣場年貢を賦課して領主権の掌握下にある農民の林野利用を確認した。

 そこでの林野利用の実態は,各地の農業生産の発達水準と,それに対応する小農自立の進展度,村落構造の特質などに規定されている。経済発展が低く,小農自立の弱いところでは,村落上層の有力農民によるかつての個別的占有・利用がそのまま百姓持山,百姓持林(百姓林)となり,小農自立の進展したところでは,小農村落の管理下にある入会地となり,制裁措置(村法)をもつ惣百姓の村中入会が成立する。関東地方に分布する個人所持の百姓林や,東山,東北地方に多くみられる地付山,分付山は前者に属する。古い村落構造が存続し,隷属的・半隷属的農民が残存する地帯では,従属的生産者の自立化による小農生産の確立過程で,自立的小農の林野利用への参加の要求・闘争をともないながら,村中入会が成立する。信州伊那地方の地付山の利用形態は,一番草(本田の元肥として刈敷に利用する)は地主(村落上層農民)が刈り取り,二番草(厩(うまや)に入れる夏草として利用する)は村中入会である。このような地付山(百姓持山)と入会山との共存状態は村中入会成立過程の過渡的形態である。

近世期における入会林野の利用形態には,1村限りの村中入会とともに,数ヵ村が共同で利用する村々入会の形態が多くみられる。村々入会は新田開発にともなう耕地の拡大,新村の成立が進むなかで,農用林野へ領主権が関与することを通して形成される。領主の年貢確保への志向は,農業生産の発展と安定とを要求する。そのため,年貢賦課対象たる高請地(たかうけち)に対して,その生産条件の一部たる用水・林野を保障する。高請地における農業生産とそれに基づく農民の生活とに必要な林野の最低量は,農民の利用する農用林野として認可せざるをえない。そのため,林野に対する領主権の確立後においても,耕地拡大,新村成立にともなって,領主権の掌握下で農用林野の再編・拡大が行われる。こうして幕藩営林野の一部の入会地化,あるいは下草刈権の認可などをともないながら,同一地域の一定範囲内の林野を数ヵ村が共同で利用する村々入会が成立する。

 入会林野の利用の内容は村法として規定される。〈山の口明(くちあけ)〉に始まる利用期間が定められ,自給用の採草(肥料,飼料),薪炭採取に限られる。用水施設の土木用材,自家建築用の用材,屋根のための萱などとしての利用も,村を枠組みにした自給自足の生産・生活にともなう村仕事として行われる。農用林野は,高請地に立脚した自給自足的生産・生活を完結するための,高請地の補完物である。したがって入会林野は高請地の所持に規定され,高持百姓が入会権者となる。その利用権は家割りの平等ではなく,高請地所持に規定された生産・生活の規模に従っている。史料上では馬持ちか否か,採取用具の種類(鎌,鐇(ちような),山刀,斧など)などによって採取量が定められている。やがてその利用権が株,札で表示されるようになると,入会地利用の権利が高請地を離れて売買の対象になる。林産物の商品化,耕地(高請地)での販売用作物の栽培,それにともなう購入肥料の利用などが進むと,入会林野の利用権の集中・分散が現れ,入会地の分割(割山)が行われる。その動きは早くは18世紀後半期にはみられるが,大きな流れとしては明治中期以後である。

 近世期の発展を通じて,田,畑,屋敷(宅地)については事実上の私有が成立していたが,入会林野については村中入会,村々入会がそのまま存続し,これはやがて明治政府の地租改正にともなう入会林野への公有地地券の発行と,それに続く官民有区分とによって著しい改編をうけた。旧幕時代に領主から確認され保障されていた農民の入会権が量的,質的に削減され,同時に,自給自足的農業が存続するかぎり,慣行的な入会が基本的に継続されざるをえなかった。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の村中入会の言及

【地主】より

…村地主はこの入会を意味する。入会には内山,村持山と呼ばれる村中入会と数ヵ村あるいは数十ヵ村が共同利用する外山の村々入会とがある。近世農民にとって山林原野は草肥をはじめ多くの生産・生活手段を確保する不可欠な地目であった。…

※「村中入会」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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