日本歴史地名大系 「奥友村」の解説
奥友村
おともむら
- 岩手県:遠野市
- 奥友村
現遠野市の南西端、
当地一帯は平安時代末期には遠野保に含まれたと考えられ、「阿曾沼興廃記」によると、小友郷は文治年中(一一八五―九〇)源頼朝が阿曾沼広綱に与えた遠野一二郷のうち下六郷の一郷であったという。小友郷を本拠地として小友氏が勢力を張った。小友氏の本姓は菊池氏、慶長五年(一六〇〇)喜左衛門のときに阿曾沼広長に反逆し南部氏に属した。山谷の
慶長一七年平清水村一三〇石余が平清水平右衛門に宛行われた(「南部利直知行宛行状」阿曾沼興廃記)。寛永四年奥友村は八戸弥六郎直義(遠野南部氏)知行地となり、同年の南部利直知行宛行状(三翁昔語)では奥友村高五九一石余、当村のうちとして新屋村(高三五石余)・鮎貝村(高五九石余)が別記される。正保国絵図によると、奥友村高一〇一石余・平清水村高六一石余・山屋村高一〇四石余・荒屋村無所務。元禄十郡郷帳による〆高は奥友村田方九五石余・畑方二四九石余、平清水村田方三斗余・畑方八三石余、山屋村田方七四石余・畑方一七一石余。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報