如法堂経塚群(読み)によほうどうきようづかぐん

日本歴史地名大系 「如法堂経塚群」の解説

如法堂経塚群
によほうどうきようづかぐん

[現在地名]新宮市新宮

浄土信仰の興隆に伴い、熊野の行所には盛んに埋経が行われたが、如法堂経塚群は権現ごんげん山の三本杉の奥、熊野速玉くまのはやたま大社の神宮寺有峯ゆうほう寺のあった場所の横の小丘にあり、近世の新宮本社末社絵図(速玉大社蔵)には「納経所」と記されている。金製毛彫薬師像の納められた平安末期の陶製経外筒のほか、建治元年(一二七五)信濃国井上源氏女奉納の金銅製経筒、弘安四年(一二八一)在銘の経筒、鎌倉時代の金銅懸仏大威徳明王像、室町時代礫石経などが多数出土し、常滑焼の肩に二重蓮弁文様のある壺の出土とともに、権現山如法堂に納骨信仰があったと想定されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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